人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(3)地中海ジャズロック・アレア

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アレアは実際はヴォーカリストと楽器担当メンバーのセッションによって曲を固める、あくまでも民主的なバンドだった。だが79年にヴォーカリストのデメトリオ・ストラトス白血病で急逝すると、間もなくバンドは活動を休止する。アレア(Area,1973-1978)は人間業とは思えない超絶テク集団だったが、それを人間業とは思えないヴォーカルでまとめあげていたのがデメトリオ・ストラトスだった。ジム・モリソンとドアーズ、フレディ&クィーンの関係に近い。

アレアのメンバーも60年代にはイタリアGSだったのだが、70年代になってミュージシャンとしての自我が芽生え自分たちならではの音楽を追究していく。早くも第一作「自由への叫び」1973(画像1)で突拍子もない民謡由来の変拍子ジャズ・ロックを完成してしまった。この路線が第二作「汚染地帯」1974、第三作「クラック!」1975(画像2)まで続き、半分が代表曲・半分が即興曲のライヴ盤「アレアッツィオーネ」1975(画像4)を境にアレアの音楽はますます即興的なものになる。政治的コミットメントもさらに前面に押し出していくようになる。

作曲とインタープレイ重視の初期3作、過渡期のライヴ、そして全面即興曲のスタジオ作「呪われた人々」1976、映画「フランケンシュタイン」からのスチールを使ったジャケットが美しい完全即興ライヴ「イヴェント'76」発表79に続き、アレアはふたたび第一作のスタイルに還ったアルバム「1984」1978(画素3)を発表した。アレアから一枚選ぶならファーストかラストだろう。この辺もドアーズに似ている。宿痾の性質から、発掘録音が3組出ている76年のツアーがライヴでは限界だったのだろう。

ドアーズ「L.Aウーマン」、クィーン「イニュエンドゥ」と較べてもアレアの「1984」は感傷など無縁の遺作で痛快なジャズ・ロックをやっており、デメトリオのヴォーカルも高速スキャットから声帯模写、民謡、現代音楽、ホーミー(!)まで豪快に披露、イタリアン・ロックはかけがえのない人を失った。病床にあるストラトスのためにベネフィット・コンサートが計画されたが開催の前日急逝、追悼コンサートとしておこなわた記録は同時LP2枚組、現在ではCD4枚組の完全版でリリースされており、デメトリオが70年代のイタリアン・ロックの精神的支柱だったのがわかる。