人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(3)寺内タケシとBJ ズ、バニーズ

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前回は駆け足でロカビリー(カヴァー・ポップス)からエレキ・インストに繋ぎ、グループ・サウンズに先んじてオリジナル楽曲の自作自演(加山雄三)、ガレージ・パンク&サイケデリックサウンド(寺内タケシ)を実現していた2組の先駆的アーティストを紹介するにとどまった。寺内タケシには1回を費やすべきだろう。GS前夜のインスト、バック・バンドの一流グループといえば、寺内タケシとブルー・ジーンズ、天才ギタリスト三根信宏を擁したシャープ・ファイブ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、田辺昭知とザ・スパイダースだった。

寺内タケシとブルー・ジーンズ「ブルー・ジーンズ・ゴールデン・アルバム」1966(画像1)
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64年6月の第一作からこの集大成アルバムまで2年間に16枚の爆発的創作力と人気を誇った寺内。外国曲、歌謡曲、ムード音楽、映画音楽、クラシック、民謡などすべてをエレキ化する作風はすでに固まった。ブルー・ジーンズの歴代メンバーでも加瀬邦彦(後ワイルド・ワンズ)在籍時の存在感は大きく、このアルバムでも寺内の眼鏡にかなうオリジナル曲を書き下している。本作で一旦ブルー・ジーンズは解散、同年末には新バンド再編。それが、

寺内タケシとバニーズ「バニーズ誕生!レッツ・ゴー寺内タケシ」1966(画像2)
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で、5作のアルバムを残して1年後に寺内はバニーズを独立させブルー・ジーンズを再編し現在に到る。バニーズは寺内によるGSへの回答で、編成は3ギター、オルガン、ベース、ドラムスとBJズ時代のままだが歌えるメンバーを揃えた。この第一作はインストと歌ものが半々だが、BJズ時代よりも遥かにヘヴィで、クリーム出現までに英米ロックの到達したサウンドに独自に追いついている。この後「正調寺内節」(日本民謡長唄などのエレキ化)、「世界はテリーを待っている」(ジャズ、スタンダード曲のエレキ化)、「レッツ・ゴー『運命』」(クラシックのエレキ化)の3作と8枚のシングルを67年に発表。バニーズは独立し、翌年1月のバニーズのコンサートに寺内がゲスト出演したのが、

寺内タケシとバニーズ「バニーズ・ゴールデン・コンサート」1968(画像3)
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で、LPのA面はバニーズ単独、B面は寺内タケシがリード・ギターで入る。寺内関連作品が現在、世界的に評価が高いのも納得の名作ライヴだろう。