人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(3)セロニアス・モンク(p)

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Thelounius Monk(1917-1982,piano)。楽歴はレコード会社移籍できれいに三期に分かれる。まずビ・バップの顔役として後にスタンダードとなる斬新なオリジナル曲を次々と発表したブルー・ノート~プレスティッジ時代(1947-1954・代表作「セロニアス・モンク・トリオ」1952・画像1)。次にレーベルの看板として名盤を大量生産した絶頂期・リヴァーサイド時代(1953-1961・代表作「ブリリアント・コーナーズ」1956・画像2、「ミステリオーソ」1958・画像3)。そしていよいよ全米レコード界最大手コロンビアに招かれジャズ界の頂点に登りつめた円熟期(1962-1968・代表作「モンクス・ドリーム」1962、「アンダーグラウンド」1967)。

もちろんこれはレコード上のことで、もともとニュー・ヨークっ子だったモンクは10代からジャズ界に入り、ケニー・クラーク(ドラムス)と組んでジャズ・クラブのジャムセッションを任され、それがビ・バップの始まりになった。当時の様子はファンの観客が録音した「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」1941で聴ける。クリスチャンは史上初めてエレキ・ギターでソロをとった人で、あまりの実力に当時人気絶頂のベニー・グッドマンが白人ファン層の反発を押しきってバンドに迎えたほどだが、この録音の翌年26歳で夭逝した。どこまでも続くフレーズ、絶妙なリズム感などギター・ソロの奏法は創始者がすでに完成させてしまったのだ。

奇妙なことにモンクはビ・バップの創始者ではあるが、ビ・バップのピアニストではないと言われる。パーカーとガレスピーが完成させたビ・バップとは楽理的に噛み合わないのだ。楽理の話は面倒だから省くが、パーカーのビ・バップの汎用性に対しモンクの弾くピアノはモンクだけの手法で、作曲家としてはモダン・ジャズ最大の人だからジャズマンはこぞってモンクの曲を取り上げるが、手法までは真似ないのが暗黙の了解になる。

71年にマイナー・レーベルに吹き込み、モンクは事実上引退する。客も招かず外出もしない。40歳頃に統合失調症の発症があり、65歳の病没時には痴呆症も患っていた。家族の顔も判らなくなっていたという。紛れもない天才の晩年と思うとつらい気持がする。