人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(4)バド・パウェル(p)

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Bud Powell(1924-1966,piano)。一言で言えば「ピアノのチャーリー・パーカー」、初めてピアノ奏法にパーカー=ガレスピーのビ・バップの音楽理論を取り入れた人。それだけでも絶大な影響力を持つが、病跡と音楽的創造力の観点からも(気の毒だが)興味深い。
この連載では25人のジャズマンを取り上げるが、大物揃いだけあって作品の質はおおむね高く安定している。だがバドは違う。素晴らしい作品は天上の響きのように超越的イマジネーションに満ち、失敗作はガラクタ以下。コード進行すら間違えたまま居眠り運転しているような演奏もある(「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」1953)。
この人は20代で3回精神病院に入院し、当時の先端治療である電気ショックを散々浴びせられた。バドほど慢性化した統合失調症で晩年(とはいえ享年42歳、死因は栄養失調という壮絶なもの)まで演奏・作曲活動を続けたのは精神医学の常識を上回る。

バドは生涯少年のままだったから、マネージメントは自社の女子事務員をバドと結婚させて私生活まで監視した。なんだかんだ言っても元チャーリー・パーカークインテットセロニアス・モンク最愛の弟子、ビ・バップ・ピアニストNo.1だから仕事には事欠かなかった。パーカーから独立後はほとんどがベースとドラムスを従えた「ピアノ・トリオ」と呼ばれる編成で、1947年の「バド・パウェル・トリオ」で早くも金字塔を打ち立てるが、デビュー後初めて(デビュー前に1度)の、1年半の入院をしてしまう。
ただしこの2度目の入院から退院後3年間は絶好調で「ジャズ・ジャイアント」(1949・画像1)や「アメイジング・バド・パウェル」「パウェル、スティット&J.J」と鬼気迫る傑作を連発するが、また入院。

退院後、53年以降のバドは多作だが極端にムラのある巨匠になる。日本で特に人気の高い全曲オリジナルの「ザ・シーン・チェンジズ」(1958・画像2)はこの時期の佳作(ジャケ写の少年は女スパイとの子供)。
ジャズ界の不況を受けて1959~1964年はフランスを拠点にヨーロッパで活動。「バド・パウェル・イン・パリ」(1963・画像3)が在仏時の代表作。このヨーロッパ時代がすごい。もう完全に一線を超えてしまっている。まるで指が動かない。なのに感動するのだ。