人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(5a)マイルス・デイヴィス(tp)

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Miles Davis(1926-1991,trumpet)。ジャズを知らない人にもマイルスの名は浸透している。正規発売だけでサヴォイ1作(1947)、キャピタル1作(「クールの誕生」1949)ブルー・ノート4作(有名な『枯葉』を含むキャノンボール・アダルイ「サムシン・エルズ」1958は契約上マイルス作品として出せなかったもの。1952-1958)、個性を確立したプレスティッジ時代(1951-1956年、なんと15枚!)映画のラッシュを見ながら現地ジャズマンと即興演奏した傑作サウンドトラック「死刑台のエレベーター」1957(仏フォンタナ)、そして30代を迎えて大会社の看板アーティストに迎えられ、ホロヴィッツとマイルスは終身契約と思われていた(今はディランがそうだ)コロンビア時代(1957-1985、70作)。そしてまさかの移籍をしてワーナーに生前3枚・没後はなんとヒップホップ作品を残した(1986-1991)。

以上で通算96作になるのだが、現在ではラジオ用ライヴ録音・観客録音が大量発掘され、正規アルバム以外にも500枚近いアルバム(主にライヴ)が出回っている。大手会社も開き直って海賊盤をマスター・テープから正規CD発売したり、ヨーロッパでコンサートの主催者が記録録音したものは主催者が著作権を持つから一般の輸入CDショップ・ネット通販でも簡単に手に入る。総計600枚ですよ。
マイルスの師匠チャーリー・パーカーも生前発表は20数作だったが、34歳の没後は未発表テイク、ラジオ音源、観客録音(パーカーはファンがステージにマイクを置くのに寛大だった)が次々発売され、つい数年前にも音質最高・演奏絶好調の初期テープが2作CD化され「ツタンカーメン級の発掘」と話題を呼んだ。マイルスは19歳でデビューして65歳で亡くなったから、パーカー150枚に対し600枚あってもおかしくはない。

それでもマイルスの楽歴は変化に次ぐ変化なので、前後二回は必要だろう。ひとまず今回はビ・バップの発展型としてハード・バップ様式を確立した最初の傑作「ディグ」(1951・画像1)、超人的メンバーを揃え完全にビ・バップとは異なる音楽理論からジャズを転換させた「カインド・オブ・ブルー」(1959・画像2)、エレクトリック編成で官能性と抽象性を極めた「イン・ア・サイレント・ウェイ」(1969・画像3)を里程標にあげる。