人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(10)デクスター・ゴードン(ts)

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Dexter Gordon(1923-1990,tenor sax)。デクスターは浮き沈みの激しい楽歴を送った人で、若くして華々しい活躍をしたが(「デクスター・ライズ・アゲイン」1945・画像1)、不遇な時期が10年あまり続き(「ダディ・プレイズ・ザ・ホーン」1955・画像2)、ヨーロッパに渡って5年を過ごし、帰国後は巨匠のカムバックとして精力的に活動し(「ゴー」1962・画像3)、晩年はフランス映画「ラウンド・ミッドナイト」1986でアカデミー主演男優賞候補になり、「レナードの朝」にも出演した。名声の絶頂で召された、と言っていいだろう。

この人の功績は、モダン・ジャズ以前にはレスター・ヤング(テナー・サックス)くらいしか試みなかったワン・ホーン・カルテット(ホーン+ピアノ・ベース・ドラムス)を推進したこと、さらにそれとは逆だが同一ホーンのバトルという編成を考案したことで、これもモダン・ジャズ以前にはレスターとハーシャル・エヴァンズくらいしか先例がなかった。パーカーやアンチ・パーカーのアート・ペッパー(アルト・サックス)、マイルスとも違う独自のクール・ジャズの創始者レニー・トリスターノ(ピアノ)まで、実はモダン・ジャズはすべて前世代のレスターによって準備されていたものだった。

そこで、デクスターの場合ワーデル・グレイ(1921-1955,ts)の存在が大きい。グレイもまたパーカーとの共演でビ・バップを見事に消化し、ワン・ホーンを得意とした。ジャムセッション・アルバム「ザ・ハント」1947で出会った二人は意気投合してテナー・コンビを組み、「チェイス」1952ではアルバム片面1曲の長時間バトルを繰り広げる。
グレイはベニー・カーター楽団所属だったがある日突然失踪、カリフォルニアの砂漠地帯で撲殺死体で発見された。パーカー死去と同年、享年34歳だった。
そこで疑問が生じる。デクスター45年のアルバムを聴くと、どうも一流奏者とは言えない技術的なミスやフレージングの乱れ、アイディアの貧しさを感じないではいられない。一言で言って雑なのだ。
これらは55年のアルバムではかなり改善されているが、62年のアルバムを聴くと演奏は丁寧になった代わりに線が細く、全体に単調になってしまった。楽歴によって過大評価されているように思われてならない。