人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(17e)ジョン・コルトレーン(ts)

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コルトレーン最終回。たぶん全5回というのはこの連載でもこの人だけ。ロックへの影響でも、前時代のロックがブルース・ロック、サイケデリック・ロックハード・ロックプログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロックに発展する手本はこの人の音楽だった。コルトレーンの死と入れ違いにデビューしたジミ・ヘンドリックスの存在に匹敵する。パーカーが始め、コルトレーンが実現し、ジミが受け継いだ(ジミの出現はジャズ界にもショックだった)太い線がある。

年間10枚の正規録音を残した驚異の1965年、足掛け4年間続いた黄金カルテットには音楽的にも感情的にも不和が生じるようになった。6月録音の「アセンション」(画像1)は7ホーン・2ベースの総勢11人で40分全1曲のフリー・ジャズ宣言。
9月にはアルバート・アイラーに近いフリー・ジャズ・テナーの新人ファロア・サンダースを、11月にはさらにアイラー・トリオの革新的ドラマー、サニー・マレイに近いラシッド・アリを入れてさらに過激な「メディテーションズ」を録音するが、新人と同額の給料に腹を据えかねマッコイとエルヴィンが脱退する。
66年、前年に再婚したアリス夫人をピアニストに迎え、A面B面各1曲(オリジナルの人気バラード「ナイーマ」、フリー・ジャズ版「マイ・フェヴァリット・シングス」)を収めたこの5月収録の「ライヴ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン!」や「メディテーションズ」すら発売前の7月に初来日、東京公演中から体調を崩しツアー後半予定だった地方都市公演はキャンセルして帰国。おそらくその後に肝臓癌が発見されたのだろう。66年の日本ライヴは2公演分がCD4枚組、4時間6曲という凄まじいことになっている。

カルテット時代はコルトレーン自身が運転する車で(他の3人は免許がなかった)年中全米ツアーをしていたが、66年・67年には数えるほどのコンサート出演しかなく、正規録音も3枚ずつしかない。67年は1月「ステラー・リージョンズ」、2月「インターステラ・スペース」、コルトレーン自身が発表順位優先に選んだ「エクスプレッション」(画像3)は同年2月・3月録音で7月に死去するまでコンサート出演が1回あるだけだった。タイトルもジャケットも本人の指定による。末期癌患者が自分自身に贈る沈鬱な鎮魂歌。この遺作ではソプラノは吹いていないのだが。