人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(24)セシル・テイラー(p)

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Cecil Taylor(1933-,piano)。この人はモンク、パウェル、トリスターノに次ぎ、ビル・エヴァンスと並ぶ最重要ピアニストだろう。後続のピアニストたちも彼らが拡げたジャズの可能性があればこそ活動し得たともいえる。ただしこの二人はまったく対照的なジャズマンだった。

テイラーは下積み経験を持たずいきなり自己のバンドでデビューした。また他人のバンドに参加することもなかった。この姿勢はトリスターノ以来だろう。デビューから60年代のテイラーの全アルバムは14枚。その半数はエポック・メイキングな作品といえるが、特に画像掲載の3作の革新性はテイラーの個性を鮮やかに示す。
○ジャズ・アドヴァンス(1956・画像1)
○アット・ニューポート(1957)
○ルッキング・アヘッド(1958)
○ハード・ドライヴィング・ジャズ(1958)
○プレイズ・コール・ポーター(1959)
セシル・テイラーの世界(1960・画像2)
○ニュー・ヨーク・シティR&B(1961)
○イントゥ・ザ・ホット(1961)
○ネフェルティティ、ザ・ビューティフル・ワン・ハズ・カム(1962)
○アット・カフェ・モンマルトル(1962・画像3)
○ユニット・ストラクチャー(1966)
コンキスタドール!(1966)
○ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(1968)
○Aの内幕Vol.1-3(1969)

オーネット・コールマンと共にフリー・ジャズの開祖として語られることの多いテイラーだが、その音楽は大きく異なる。ボストン出身のテイラーはパウェルの影響を初めて消化したリチャード・ツワージックに注目していた。23歳のデビュー作「ジャズ・アドヴァンス」ではハード・バップ全盛期とは思えない異様なジャズを作り出す。
テイラーの個性の確立が「セシル・テイラーの世界」で、それまで組んでいたビュエル・ネドリンガー(ベース)、デニス・チャールズ(ドラムス)とのトリオは限界を迎える。
ジミー・ライオンズ(アルト・サックス)、サニー・マレイ(ドラムス)とのベースレス・トリオはベース不参加による偶然だったがライヴ盤「ネフェルティティ~」「カフェ・モンマルトル」の大傑作を生み出す(同日録音)。このトリオが発明したパルス・ビートが従来の4ビート・ジャズに風穴を開けた。とにかくかっこいい!未体験のかたはぜひ。