人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

入院顛末記〈4〉1998年12 月

目覚めたからには眠っていたのだろう。午後の陽射しが部屋を照らしている。携帯を見ると14時だった。ドアポストに新聞が溜っている。月曜の夕刊から木曜の朝刊までだった。
マグカップにお湯を沸かしてココアでも飲もう、と電子レンジ(1杯くらいならレンジを使う)を開けると、手つかずのままの冷凍食品のドリアが回転皿に乗っていた。
思い出した。うちのレンジは中古品でもあり、時たま動かなくなる。ぼくは時間をおいてまた試そう、と昼食を諦めて昼寝してしまったのだ。新聞の溜まり具合からすると、それが月曜の午後になる。そして木曜の午後2時まで目覚めなかった。ココアは諦めて水を飲み、服を着る-なんとか着たが、間欠的に意識が朦朧として動作が止まる。
それからしばらくの間座っていた。声を出してみると舌がもつれて息が続かなかった。自分がどういう状態かを考えた。結論はすぐ出た。ひとりではあぶない。助けを求めなければならない。

ふらふらと階段を降りると、ちょうど向こうから車がのろのろと走ってきた。ぼくは立ちふさがり、フロントガラスに顔を寄せて、「助けてください。病気なんです」ほとんど声にならない。運転していた中年女と助手席の母親らしき老婆はぼくの嘆願が聞こえるのかどうか、ホラー映画もかくやと恐怖に顔をひきつらせ、「どいてください!どいてください!」
しばらくこれを続けて、ぼくも諦めた。車はたぶん予定外の方向へ曲がって行った。ばあさんの表情が強烈だったのでくらくらした。それより、ろれつがますます回らなくなっているのがまずい。一旦警察に保護してもらって何らかの医療機関に移してもらうにせよ、それまでの病状の推移を説明できないのでは困る。ぼくはこれまで口八丁でなんとかやってきた。前科者になって釈放されてからはなおさらそうだった。

そこでぼくは徒歩1分の掛かりつけの歯科に立ち寄った。メンタル・クリニックもすぐ裏だが、午後は3時からなのだ。受付に美人歯科衛生士のKさんがいた。もう、いつしゃべれなくなるかもしれないんです、と前置きして3日間昏睡していたことを話した。
たぶんそれで安心して、記憶はメンタルの待合室まで飛ぶ。Kさんはぼくをメンタル隣の掛かり付け内科に送り、内科はメンタル併設のデイケアにぼくを届けた。その晩ぼくは初めて緊急入院した。