人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(25)ウィントン・マルサリス(tp)

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Wynton Marsalis(1961-,trumpet)。この人が唐突に「モダン・ジャズの巨人25」の最後に選ばれているのはいかにも原著発行の90年代的な現象という気がする。ハンコック、テイラーまでで24人目まで来たなら、25人目はウェイン・ショーターチック・コリアキース・ジャレットが妥当だろう。ひとりに絞るならキースを推す。彼はハンコックから更に飛躍してジャズの感受性を拡げた天才で、筆者は苦手だがキースがジャズにもたらしたものは大きい。

ウィントンの父はジャズ・ピアニストで兄弟も全員音楽院に学びクラシックの素養も十分、19歳でアート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズに加入、クリフォード・ブラウンリー・モーガン以来の神童と一躍話題の新人となった。81年7月に「ハービー・ハンコック・カルテット」(ベースはロン・カーター、ドラムスはトニー・ウィリアムズ、すなわちマイルス・バンド経験者)に参加した翌月、初の自己名義アルバム「ウィントン・マルサリスの肖像」(画像1)をハンコックのプロデュースで録音。ジャーナリズムや業界人はこぞって絶讚したが、リスナーの間ではこの作品からどこかおかしいぞ、という反響が起り始めた。文句なしに上手い、つけ入る隙はないのだが、音楽が冷たいのだ。それこそハンコック在籍中のマイルス・クインテットの現代版をやっているのに、マイルスの音楽にあった冷酷さや妖気、熱気すらここでは演技としか響いてこない。ブレイキーやハンコックとの共演ではそれが見えなかったのだ。

84年の「スターダスト」(画像2)は普通若手がやるものではないバンド+ストリングスをバックにしたスタンダード集で、ウィントンの音楽はさらに完璧で、さらに冷たくなっている。
筆者は自分のバンドのメンバーとウィントンのライヴを2回見たが、新宿ピットインではソロの最中トイレに行ったベースのやつがウィントンと目が合って睨まれてしまった。その時の曲が『スターダスト』だった。

86年の「スタンダード・タイム」(画像3)は当時ほとんど巨匠の風格と評された。90年代にコルトレーン「至上の愛」の全曲演奏、ディキシーランド・ジャズ作品、クラシックなどの迷走の後、ウィントンは革新性はない大家という評価に落ち着いた。