人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(29b)リー・コニッツ(as)

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リー・コニッツの好調・不調をアドリブの音域(厳密にではないが、印象として)で高域(初期)→中域(中期)→低域(後期)に分ける評者もいて、ストーリーヴィル三部作(前回)までは初期、アトランティック(前回)~ヴァーヴでは中期または初期と中期の混合、ヴァーヴ最終作から6年のブランクを置いたカムバック後は中期~後期になり、評価としては初期は抜群に良く、中期は今一つで、後期はかなりムラがある、というのが少ないコニッツ・ファンの間でも定説になっている。つまりこの人の創造性は最初の10年はピークを保ったが、その後50年をかけて衰える一方だった。残酷だがそういうことになる。

アトランティックからジャズの大手ヴァーヴへの移籍はよりコニッツをポピュラーな白人ファン層に売り込もう、という企画だったろう。57年5月録音の「ヴェリー・クール」(画像1)はアトランティック時代の作風をふくよかに洗練させて脱トリスターノ派の確立を感じさせ、同年10月録音の「トランキリティ」(画像2)はビリー・バウワー(ギター)、ヘンリー・グライムズ(ベース)、デイヴ・ベイリー(ドラムス)のみをバックにしたワン・ホーンで、同年2月録音・同編制の「リアル・リー・コニッツ」よりさらに良い。バウワーというトリスターノ派ギタリストの自由なバッキング、鋭い和声感とリズムはジム・ホール以前の最高のレヴェルだった。

オーケストラとの共演、ジミー・ジェフリー編曲のビッグバンド作品を挟んで、ついにコニッツもコルトレーンやオーネットら黒人ジャズの革新性に真っ向から対決すべく、ロリンズやコルトレーンのバンドでピアノレス・トリオの力量実証済みのポリリズム(複合リズム)ドラマー、エルヴィン・ジョーンズを迎えて「モーション」1961(画像3)を録音する。全曲スタンダードだがテーマなし、全編アドリブのみで、ベースが時々外しても突き進む。
ポール・デズモンドはウィットに富んだライナー・ノーツを自分のアルバムに書く人で、ビル・エヴァンスも思慮深い文章を書く人だったが、彼らと同じくユダヤ系の知性派ジャズマンであるコニッツはこのアルバムのライナー・ノーツでずばりと書いている。「音楽は女のようなものだ」
このアルバムは傑作なのだが好きになれる人は少ないだろう。次のアルバムまでコニッツは6年間の冷飯を食う。