人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(10)

この詩集は一篇一篇は独立しているが一冊が統一された作品であり(主題の反復に注意)、日本の現代詩でこれに成功した例は少ない。山村暮鳥「聖三稜玻璃」1915、萩原恭次郎「死刑宣告」1925、伊東静雄「わがひとに与うる哀歌」1935に並ぶとなるとよほどの詩集となるが、「肋骨と蝶」はよく迫った。

21.『花序』
・呼吸…落葉の中に隠れている
・脈搏…樹皮の間を流れている
・体温…年輪の中に宿っている

一日が高い裸枝の梢から飛び降りて、私の病衣の中に、私はいない。私の小康が庭に佇つ。翳りやすい陽に埋もれ、腰折れた寒菊。私の影も細長く、折れ湾っている。それはもはや、季節の葩(はな)とともに、杖すべくもない。

22.『鞠』To my H.Ito

桜色の季節風が吹いていた。庭先で鞠がよく跳反(はず)んだ。おない齢の少女等の前で、機勢(はずみ)のついた私と一しょに、ポンポン跳反んだ。慰安をうけた、お母さんの心のように、ポンポン跳反んだ。お母さんは、私たちめいめいに、三時のお菓子を配って下すった。
鶏舎の傍のヒマラヤ杉の梢で、雀が三羽の雛を孵化していた。差し交した枝葉の間から、柑子色に縁どられた嘴が、垣根越の黄水仙の花瓣を覗かせた。私たちはそれがほしかった。未だやっと生えた羽毛の温味を、掌の上へ乗せてみたかった。

私たちは丘へ上った。
鞠は丘でもよく跳反んだ。私たちはもう何もかも忘れていた。美しい空色よ、和やかな暖気よ、小川よ、林よ、愛犬よ、小鳥よ、牡牛らよ! 鞠をもっともっと跳反ませろ! 私たちの手と手が、みんな葩のように開くだろう。
だが、いたづらな叢は、私たちの手をすべりぬけて、うっかり跳反みすぎた鞠を嚥みこんだ。緑の海の波はあまりに静かすぎる。疲労は鞠を返さない。鞠の中には、私たちめいめいの、お父さんがいるだろう。お母さんがいるだろう。兄さんが、姉さんが。妹が。弟が。夕餉のナプキンが拡げられているだろう。
私たちは揃って丘を下った。

朝はふたたび訪れやって来た。私たちはいつものように、ヒマラヤ杉の下に集った。梢にやどった露玉の分散する七色の光輝、光輝! と、そこから昨日の鞠が、思いがけなく転落してきた。しかし、私たちの中の、だあれもそれを受け捕ったものはなかった。朝日に向って三羽の仔雀が飛び立った………

(隔日掲載)