(34d)ハンク・モブレー(ts)



これには裏話もあって、第一候補はエリック・ドルフィーだったが当時ドルフィーはコルトレーン・クインテットのメンバーだった。それ以来マイルスはインタビューごとにドルフィーの演奏をくさすようになった、というのがN.Y.のジャズ関係者の間では公然の秘密だったという。
ともあれ、61年3月にモブレー入りクインテットはアルバム「いつか王子様が」(画像1)の録音に入る。だが2回目のセッションでタイトル曲を録音するにあたってはジョン・コルトレーンをゲスト参加させ、結局それがアルバムのハイライトになってしまう。
モブレーは三部作最後の傑作「ワークアウト」を録音後マイルス・クインテットの西海岸ツアーに出発、61年4月21日・22日のサンフランシスコ公演は「ブラック・ホークのマイルス・デイヴィスVol.1」(画像2)「Vol.2」としてアルバム化されたが、モブレーのソロは大幅に短縮された。初回盤CDではレコード通り、現行CDではカット部分を復元した完全版として再発売されたが、マイルスのファンはそれ見ろ、モブレーのファンは悔し泣きの、緊張感を欠いた垂れ流しソロがあるだけだった。リズム・セクションだっていつもブルー・ノートのアルバム録音で馴染みのメンバーばかりなのに、なぜこういうことになってしまうのか。テーマから先発ソロをとるマイルスの音楽的支配力の強靭さに、モブレーの音楽性が太刀打ちできないのだ。歴代のマイルス・バンドのホーン奏者たちはどれだけ屈強だったかわかる。それこそドルフィーやショーターほどの強力な個性が必須だった。
モブレーはオーケストラとのライヴ盤「アット・カーネギー・ホール」61.5(画像3)を最後にマイルス・クインテットを去る。半年も持たなかった。このライヴでは比較的無理のないモブレーだが、所詮は音楽性が違いすぎた。モブレーはそれほど繊細だった。