人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(35a)ポール・チェンバース(b)

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Paul Chambers(1935-1969,bass)。69年没(肺炎。当時のジャズマンの職業病)といっても1月4日。33歳の若さだった。ではチェンバースは生涯に何枚のアルバムに参加しただろうか?
チェンバースの経歴をざっとたどると自動車産業の都市デトロイト出身。人口の黒人比率も高く、文化融合も進んでいる。楽器はチューバから始めベースに転向。高校卒業後N.Y.に移り、バド・パウェル派白人ピアノのジョージ・ウォーリントン・クインテットでデビュー。アルバムは「ライヴ!アット・カフェ・ボヘミア」55.9。メンバーはドナルド・バード(トランペット)、ジャッキー・マクリーン(アルト・サックス)、ドラムスはアート・テイラー。リーダーがいちばん非力なバンド。

すぐにチェンバースはマイルス・デイヴィスに引き抜かれ、ジョン・コルトレーン(テナー)、レッド・ガーランド(ピアノ)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)というさらに辣腕なクインテットの一員となる。「ザ・ニュー・マイルス・クインテット」55.11は何とウォーリントン・クインテットのわずか2か月後。弱肉強食。
マイルス・クインテット在籍は62年まで続き、56年までのプレスティッジ時代に6枚。同時にレッド・ガーランドのお抱えベーシストになったからマイルス作品以外に55~58年に28枚(うちコルトレーン作品11枚)。56~62年のコロンビア時代に13枚の計19枚になる。ビル・エヴァンスがマイルスのピアノの59年にはエヴァンスのセッションで2枚。エヴァンス時代はトミー・フラナガン(ピアノ)と組むことが多く11枚、「ブルー・トロンボーン」「ジャイアント・ステップス」「静かなるケニー」と名盤揃い。62年以降はウィントン・ケリー・トリオの一員で65年に解散、68年の遺作までに49枚。さらにリーダー作6枚、ブルー・ノート・レーベルに49枚(ケリーとダブるが)。
掲載アルバムはマイルス・クインテットのコロンビア第一作「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」56(画像1)、ロイ・ヘインズ・トリオ「ウィー・スリー」58(画像2)、「ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーウィントン・ケリー・トリオ」65(画像3)。20歳のデビューから事実上引退した30歳までに150枚以上の参加アルバムがあるのだ。この3枚はその白眉といっていい。