人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(48e)レッド・ガーランド(p)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

Red Garland(1923-1984,piano)。
あまりにモダン・ジャズ史上重要な作品が続くので予想以上にしんどいレッド・ガーランド編だが、マイルスの作品ラッシュは前回まで。ただし今回からは57年度録音になるが、数枚省いても14枚は落とせない。マイルス・クインテットへの加入と同時にガーランドはプレスティッジとの専属契約を結んだので、モダン・ジャズ最盛期のプレスティッジは月産ペースでアルバム制作をさせた。粗製乱造の感は否めない。

ガーランドの2作目のリーダー作は、
Red Garland's Piano(画像1)56.12.14/57.3.22
-で、56年12月分は前回紹介の「マクリーンズ・シーン」と同時録音だろう。続く第3作、
Groovy(画像2)56.12.14/57.3.24,8.9
-にも同日の録音が含まれることになる。
この第2作、第3作はガーランドの名作として、特にアルバム・ジャケットの秀逸さで「グルーヴィー」は人気が高い。どちらもチェンバース、テイラーとのトリオだが、冒頭のR&B名曲'Please Send Me Someone To Love'9分47秒は半分の長さなら名演になったかもしれない。選曲も第1作よりは渋い。
「グルーヴィー」の人気曲は'C Jam Blues','Willow Weep For Me'あたりだが『柳よ泣いておくれ』は他にもっと名演がある。『Cジャム・ブルース』もモダン・ジャズでは場違いな選曲に思える。第2作の方をお薦めする。

マイルス・クインテットの西海岸ツアー中にアート・ペッパー(アルトサックス)のカムバック・セッションとして企画されたのが、
Art Pepper'Meets The Rhythm Section'57.1.19(画像3)
-で、当時のジャズ界ではガーランドらのトリオの代名詞に「ザ・リズム・セクション」と呼ぶようになっていた。ペッパーが夫人から「今日は仕事よ」と知らされたのは当日の朝で、こわごわスタジオに入るとガーランドたちは友好的でペッパー向けの候補曲も用意してあり、ほとんど初めての曲ばかりだったがやってのけたら名盤になっていた。名演'You'd Be So Nice To Come Home To'はそうして生れたのだ。