人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(48n)レッド・ガーランド(p)

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Red Garland(1923-1984,piano)。
前作「レッド・アローン」から6枚挟んで、
Bright And Breezy(画像1)61.1.19
-さらに3枚挟んで、
When There Are Grey Skies(画像2)62.10.9
を録音し、ガーランドは引退して故郷のダラスに帰ってしまう。まだ30代の終りだがジャズマンの定年は早いのだ。71年にニューヨークに再び上京し、ピアノ・トリオ作品の、
Auf Wiedersehn(画像3)71.3
-とジミー・ヒース(テナーサックス)とのワンホーン作品をドイツのMPSレーベルからの依頼で録音するが、再び引退。だが77年にギャラクシー・レーベルからの'Crossings'で復帰し、モダン・ジャズ再評価の風潮に乗って84年の逝去まで活動を続けた。今回がガーランド編の最終回だが、ジャケットといいタイトルといい、モダン・ジャズ冬の時代を感じさせるものばかりだ。盟友ポール・チェンバースのように冬の時代の最中に逝去したジャズマンもいる。コルトレーンしかり。ガーランドもそうなってもおかしくなかった。ガーランドのようなどちらかといえばエンタテインナー的資質のジャズマンですら、この時代には死と退廃の薫りがする。

「ブライト・アンド・ブリージー」はリヴァーサイドの傍系レーベル・ジャズランドへの移籍第1作。同社には翌年3月までに4枚を残す。これは56年の「ア・ガーランド・オブ・レッド」と並ぶ密度の高い傑作で、'On Green Dolphin Street','What's New?'が白眉だろう。演奏に華がある。

プレスティッジに戻り、同社でのリーダー作14枚目で最終作になった「ホェン・ゼア・アー・グレイ・スカイズ」は地味きわまりないアルバム。冒頭の'Sonny Boy'も地味なら'St.James Infirmary'も訥々と演奏しており、感慨を誘う作品になっている。CD追加曲'My Blue Heaven'もいい。

77年の復帰後は順調に往年の作風を守りぬいたガーランドだが、71年の一時的復帰作「アウフ・ヴィーターゼーン」もスロウなブルースとバラードのアルバムになった。'Stella By Starlight'など誰にも似ていないガーランドならではの演奏がここにもある。