人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補1f)バド・パウエル(p)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

Bud Powell(1924-1966,piano)。
渡欧以降のバドは普通の基準では計れないピアニストになる。リズム感もフレーズも崩壊寸前で、あまりに気ままに弾いているためにアーティキュレーションもアクセントや構成も判然としないソロを平然と繰り出す。ベースやドラムスの音など聴こえていないかのようだ。だがバドにはバドなりのタイム感や和声感があり、もつれる指で求めるフレーズを追っていた。バドの凄みは計算ずくの天才ではないことだ。バドはまるで冥界から響いてくるような演奏にたどり着いたが、精神疾患の慢性化と切り離して考えるのも難しい。常識的には音楽としては破綻しているものに説得力があるのは、バドは確かに自分の演奏を確信している、ということだ。

At The Golden Circle Vol.3(画像1)62.4.21
-は62年4月にデンマークのクラブでライヴ録音された五部作+拾遺集のうちの1枚で、このVol.3には'I Remember Clifford'が入っている。普通に演奏してもテーマだけで3分かかるバラードの難曲だが、バドはベースやドラムスが困るほどのスロー・テンポで9分間の演奏に仕上げている。この曲に限らず「ゴールデン・サークル」6枚はジャズ・ピアノでも空前絶後の異常空間で、初期のバドを評価する人でもこれを認めずにはいられない。ひとりの男の人生をかけた音楽なのだ。

渡欧中の数少ないスタジオ録音、
Bud Powell In Paris(画像2)63.2
-はデューク・エリントンのプロデュースでフランク・シナトラのレーベル、リプリーズから出た。『パリの遊歩道』の再演以外はスタンダードで、ヴェテランだが誰も褒めないカンザス・フィールズがうるさいだけでぶち壊しのドラムスを叩いている。'Dear Old Stockholm'などピアノとユニゾンでテーマを叩いているのだが、それでもバド晩年の名盤なのだ。

バドは64年夏のアメリカ帰国直後に1枚だけアルバム録音を残して66年7月に逝去するが、帰国直前にパトロンの別荘でライヴ録音された、
Hot House(画像3)64.8
-が最後の名作になった。ビ・バップの定番7曲、うち3曲に参加したテナーのジョニー・グリフィンの貢献が大きい。バドもご機嫌に弾いている。