戦後のコミュニズム詩人で最も尖鋭的だったのは谷川雁(1923-1995)と黒田喜夫だった。常套的で安易なヒューマニズムはそこにはなく、共産主義自体にも懐疑が向けられた。谷川は30代で詩作と断絶する(晩年復帰したが)。3篇をご紹介する。
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『帰館』 谷川 雁
おれの作った臭い旋律のまま待っていた
南の辺塞よ
しずくを垂れている癪の都から
今夜おれは帰ってきた
びろう樹の舌先割れた詩人どもの
木綿糸より弱い抽象を
すみれの大地ぐるみ斬ってきた
優しい短刀で一片ずつ
鶏頭色の巣窟を
世界中の細胞にふる雪で洗ってきた
ぞっとする明け方をかけてきた
(中略)
どこまでも拳を痛ませる土壁よ
緑ある鍋に刃物をひらめかす友よ
城がそそりたってならぬことがあろうか
今はほほえみながらきっとして
冷えた盃をひそかな核にささげよう
それから、党と呼んでみる
村の娘をよぶように
形容詞もなく静かにためらって
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『伝達』 谷川 雁
完成が何だ ちべっと文字が何だ
おれの低い塔が驢馬のようにいななくとき
木型にひっそりと「占有」を溶かし
あらあらしい肯定詞を打ち
まこと最初の鍛冶屋はうまれた
鶏よりも堕落する日々の貞潔をすて
(中略)
韻をふまないおれの詩にかけて
そいつは百合に変るのだ 真夏の雪か
女にはまだ言葉はない だから男も
あたらしい生き物になることができる
哀れな祖先は歯を見せてわらい
葡萄を吸うようにすれば儀式はすんだ
たちまちなにか固い石がきらりと暮れた
猫の小便に似たものが流れた
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『商人』 谷川 雁
おれは大地の商人になろう
きのこを売ろう あくまで苦い茶を
色のひとつ足らぬ虹を
夕暮れにむずがゆくなる草を
わびしいたてがみを ひづめの音を
蜘蛛の巣を そいつらみんなで
狂った麦を買おう
古びておおきな共和国をひとつ
それがおれの不幸の全部なら
つめたい時間を荷作りしろ
ひかりは桝に入れるのだ
さて おれの帳面は森にある
岩蔭にらんぼうな数字が死んでいて
なんとまあ下界いちめんの贋金は
この真昼にも錆びやすいことだ
(国文社・1960)