人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

黒田三郎『誕生日』『五十歳』

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『夕方の三十分』を取り上げたのを機に、12冊ある黒田三郎(1919-1980)の詩集を久しぶりに通読したが(思潮社「現代詩文庫」の「黒田三郎詩集」1968・「新選黒田三郎詩集」1979の二冊で大半は読める)、黒田作品は1970年頃を節目に作風の振り幅が小さくなる。それまでの全詩集「定本黒田三郎詩集」は1971年に刊行されたが、ここで編まれた新詩集〈羊の歩み〉に含まれる1968年~1971年の詩編で、詩人はそれまで「ひとりの女に」や「小さなユリに」のような統一した題材の詩集でしか実現しなかったムードを、多彩な題材からでも一貫させることができるようになる。
詩集の中で連続する『誕生日』『五十歳』の二編はごく平凡な述懐で、かつての社会派詩人のおもかげはまるでない。かつての緊張をはらんだ生活詩とも違う。黒田への評価はこの辺で分かれてくる。

『誕生日』黒田三郎

五十歳の誕生日を
ぎっくり腰で寝て暮した
外ではブルドーザの音が響き
遠くで子供の声がする
時々犬が吠える
遠い世界

枕許に
一冊の新しい僕の詩集がある
友人や知己の
あたたかいことばにつつまれて
そこにかるがると
僕の一生がある

それがどんなにみじめで
それがどんなに心貧しくても
それは僕の一生なのだ
それ以外に僕の一生はない
だがいまは
そこにそれがあるだけでこころが重い
(第一~第三連)

『五十歳』同

あたりいちめんの道
長年の勤めで通いなれた道なのだが
けさはまるで新しい道のように
僕はこの道をいそぐ
木立や畑のなかの
曲りくねった道
ふと誰彼に言ってやりたい気もする
別に死に急いでいるわけではないのですよ

娘は高等学校の
息子は小学校の
教室に
今ごろはよそ行きの顔をして
坐っていることだろう

僕だって得意だったことがある
まだ三つくらいの娘と町を歩いて
可愛いわねえとふりかえられたこともある
まだ三つくらいの息子と散歩に出て
知らない人に愛想を言われたこともある

だがもう
そういう機会は二度とない
僕はひとりで
あたりいちめんの霜のなかを
足ばやに歩く
まるでそうやっていそぐことが
ただひとつの目的のように
(「定本黒田三郎詩集」1971年版・〈羊の歩み〉より)