Joe Henderson(1937-2001,tenor sax)。
とっくにお気づきのかたもいらっしゃると思うが、追補として取り上げてきた面子はほとんどブルー・ノート社専属ジャズマンたちになった。ブルー・ノート社は品質は最上とはいえ、所詮は弱小インディーズなので、出世するとメジャー・レーベルに移籍して行く。ヘンダーソンは第一線でデビューしたが一枚看板のタレントにはなれず、レギュラー・メンバーとしてはホレス・シルヴァーのバンドからブラスロックのブラッド・スウェット&ティアーズまで在籍し、真価を記録できたのは臨時編成のメンバーによるアルバム参加だけだった、と言える。
前回の「ブラック・ファイア」に続いて録音された3枚は、いずれも60年代ジャズの古典と言うべき作品になった。
Lee Morgan:The Sidewinder(画像1)63.12.21
Freddie Roach:Brown Sugar(画像2)64.5.19
Andrew Hill:Point Of Departure(画像)64.3.21
それぞれ俊英トランペット奏者のジャズ・ロック路線第一作、ソウル・オルガン作品、前衛的ピアニストのオールスター大作となるがヘンダーソンはどれも余裕でこなし、各アルバムの完成度を高める要となっている。
例えばジャズ・ロックの先駆者には'Comin' Home Baby'61のハービー・マンがいたし、ジミー・スミスが大手に移籍した後のブルー・ノート社はスミスをさらにR&B化したオルガン奏者を大量に送り出した。
ヒルの「離心点」は、ブルー・ノート社の新主流派を代表する5枚ないしは3枚に数えられるだろう。そこでジャズ・ロックでも、ソウル・オルガンでも、おそらくヘンダーソン自身の志向に一致していた新主流派路線でも、ヘンダーソンの参加が、リーダーの期待以上に新しいサウンドをもたらした。モーガンのアルバムでもローチのアルバムでもテナーがデクスターやモブレー、アーヴィンやタレンタインだったらどうなったか(それも興味深いが)。ましてやヒルのアルバムとなるとヘンダーソン以外にはサム・リヴァースしかいない。ウェイン・ショーターは本業のマイルス・クインテットと副業の自己名義作品の他は参加を渋った。
ヘンダーソンの活動が主にサイドマン中心だった理由も、そこにある。