人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

訪問看護日記・7月12日(金)猛暑

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ぼくが訪問看護を受けているというと、いったい何を看護されているのか疑問を持つ人もいるだろうと思われる。これが年配の人なら話は早い。
「おれなんか、もちろんなるべく若くてきれいな女を頼んでるよ」とオノデラさん(68歳)は言った、「やってもらうこと?一週間分の食器洗いや掃除、保存食の下ごしらえとかさ」
早い話オノデラさんの場合はメイドさんにやってもらう作業を訪問看護精神保健福祉士さんにやってもらうわけだ。オノデラさんはやや肥満体型ながら良くも悪くも(悪くも、とは失礼だが、年齢相応の落ちつきは稀薄)若々しいが、家政婦さんの仕事を訪問看護に頼んでいるのはちょっとどうかな、とも思う。

ぼくは二度目の入院先で、掲示板に訪問看護の案内を見て初めてそういう機関があるのを知った。ぼくの場合、身体症状や加齢による障害はないからベッドメイクしに来てもらう、という用件ではない。この二度目の入院は、病状の悪化が急激に進んで、自分から救急車を呼んだ時には起き出すどころか仰向けに寝たまま身動きもできなかった。絶食と不眠、悪性症候群(薬物中毒)から危篤寸前まで行ったのだ。

入院したぼくは、声はかすれて出ず、指も腕も動かないので布団をかけ直してもらうのすらナース・コールに頼りだった。二週間24時間点滴を受けている間は、ずっと現実にはあり得ない幻覚を見ていた-例えば病院関係者によって裁判の被告に立たされるとか、点滴を引っこ抜き病院を抜け出すとか。やっと点滴から解放され、車椅子で粥食、すぐに普通食になり、スプーンもついていたが思いきって箸を試してみた。その時ようやく実感した-ぼくは死んでいるのと同じだったのだ。

退院後にクリニックの主治医に相談したのは、今回の入院でぼくの場合は悪化が急激に進むこと、できれば悪化の兆候を診断してもらうかたちでカウンセリングとして訪問看護を受けたいが、そういう目的で訪問看護を受けることはできるか-ということだった。
最初の訪問看護の時、アベさんは、
「医療者と患者の前に、まず人と人として接しましょう。金銭のやりとりなどはいけない等ルールはありますが、基本的に何でも屋だと思ってください。ただしご本人のお手伝いです」

そこで今日は、部屋中の段ボール内の蔵書をすべて整理した。整理中(上)、整理後(下)。あまり変っていないか。