人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

療養日記・8月7日(水)快晴

イメージ 1

イメージ 2

まずはいたわりのコメントをくださった方へのリコメントより。
「お気づかいありがとうございます。最近は体調も良好で(睡眠剤に体が馴れたのか)診察も簡単な生活報告程度です。精神的にも落ち着き、一日三食料理する気力も出てきました。GWから不調が続いていたので今回はかなり長期でした。
公団は保証人不要ですが、立地が不便なのと、単身世帯には無駄に広くなります(ぼくの障害・生保の友人は家賃1万5千円の公団暮しですが、一人暮しで3LDKです)。低い家賃の賃貸に住むと、それより高い物件には転居ができません。民間の賃貸では、保証人が立てられなければ保証人協会加入が必要です。それでも加入には親族を緊急連絡先にしなければなりません。老齢の独身者ほど大変です。娘たちが成人したら連絡先だけ頼るかもしれません」

正月に記事にしたが、ぼくが昨年の父の逝去を知ったのはぼくからの年賀への、伯母からの返書(画像)だった。継母も弟も葬儀どころか報せすらくれなかったのだ。伯母には返事を書くべきだな、と思いながら手紙を送ったのは四月すぎだった。已然として継母からも弟からも報せはなかった。ぼくが継母や弟にはどんな存在かわかる。
そこで伯母に保証人協会加入のための緊急連絡先を打診したが、あっさり断られてしまった(画像)。こうなると継母か弟に頼み込むしかない。継母とは養子縁組はしていないから、法的には父の死後は姻戚関係すらないが、一般的な慣習では父の未亡人だから継母で通る。順序からは継母が先だろう。

携帯より固定電話が安いので、公衆電話から電話した-「N子さんですか。ご無沙汰してます。和人です」
ぼくは話の流れを予め組み立てていた。父の死は伯母に知らされたこと、父を看取ってくれたことへのねぎらい、葬儀に呼ばないでくれた配慮(への感謝)。とにかく下出に出ることだ。
「父のことでは本当に感謝しています。お疲れだろうと思って電話も控えていました。ぼくへの報せも配慮してくださり、ありがとうございます」
「ずっと気にしていたけど連絡できなくて…ごめんなさいね。お父さんは一昨年11月入院して、去年の6月21日息を引き取ったの。和人を呼ぶな、と言っていたのはお父さんよ」
継母の口調にはぼくへの負い目があった。ぼくは簡単に説明して、緊急連絡先の承諾を取りつけた。