人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

二十世紀の十大小説(1)

最近は煩わしい生活問題からブログの内容はほとんど日記だった。だからかわからないがブログの訪問件数も伸びていて、確かに生活保護受給者で精神障害者の生活問題にはドキュメンタリーとしての意義がある。一般報道は統計的で、いわば抽象化されているから、個別の具体的な事例を当事者の立場から現在進行形で描くのはこのブログのような形でしかできない。たとえ個別例を取材しても、マスメディアではプライヴァシーや報道規制で肝心な部分はフィルターがかかる。公正で中立的な立場という条件自体が一種の虚構だ。現実がいかに利を得るかという闘争ならば、当事者に中立はあり得ない。

そんな生臭い記事が続いたので、今日は漢語で言う、「清談」にしたい。ぼくは元々文学少年だったので、文学の話題なら清々しく書ける。
「二十世紀の十大小説」というのは文芸批評家の篠田一士晩年の著作で(1988年刊行)、今は新潮文庫で手に入る。サマセット・モームの古典的著作に「世界の十大小説」1954(岩波新書)がある。世界文学という概念を発明したのはゲーテだが、それはギリシャ・ローマからルネッサンスまでを規準としたもので、小説という18世紀以降の近代の文学形式はまだ芸術的・思想的位置が曖昧だった。モームの著作は近代小説が世界文学の古典足り得ると説得力ある批評を試みたもので「嵐が丘」や「白鯨」は同書によって評価を決定したと言える。
「世界の十大小説」は、

フィールディング「トム・ジョウンズ」英1749
オースティン「高慢と偏見」英1813
スタンダール赤と黒」仏1830
バルザックゴリオ爺さん」仏1835
ディケンズ「デヴィッド・コパフィールド」英1850
フローベールボヴァリー夫人」仏1856
メルヴィル「白鯨」米1851
エミリー・ブロンテ嵐が丘」英1847
ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」露1879
トルストイ戦争と平和」露1869

-で、一応は文句なしだろう。スタンダールなら「パルムの僧院」、フローベールなら「感情教育」、トルストイは「アンナ・カレーニナ」が甲乙つけがたく、ディケンズバルザックは多作だからこれ一作ではサンプルだろう。ドストエフスキーは五大長編の「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」のどれもいい。
本題に入らず終ってしまった。続きは明日。