人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#21.『イエスタデイズ』

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モダン・ジャズの始まりはビ・バップだから確立期は40年代半ばだが、レパートリーにはオリジナル以外にも20年代~30年代のミュージカル挿入歌、映画主題歌が多かった。これもチャーリー・パーカーが始めて門弟のマイルス・デイヴィスが十八番にしたことで、マイルスがレパートリーにしたのでモダン・ジャズのスタンダードに定着した曲は数多い。マイルスが採用するまでそれらの曲は単にアメリカの歌謡曲だった。

ただしパーカーにもマイルスにも先立ち、ビリー・ホリデイという偉大な歌手がいる。ビリーの採用した曲をパーカーやマイルスが追従した例も多い。この『イエスタデイズ』もそうで、元々は33年のミュージカル「ロバータ」の挿入歌だった(同ミュージカルは『煙が目にしみる』も生んでいる)。だがビリーのレパートリーを器楽曲にする、という作業がなければ、そのスタンダード化はジャズ・ヴォーカルの範疇に滞まっただろう。

マイルス晩年の自伝はそのまま40年代から80年代の、50年間のモダン・ジャズ史になっており、改めてその存在の大きさを示すものだが、50年代初頭に若手アルトのジャッキー・マクリーンをサイドマンにしていた時のエピソードを書いている。『イエスタデイズ』をやるぞ、というマイルスにマクリーン(32年生)は「そんな古い曲なんて知らないよ」と答えた。マイルスはワンホーンで同曲を演奏して、「アルトサックスのやつはこの曲を知らないそうです。そんなやつがよくプロになれましたね」とアナウンスした。
楽屋でマクリーンは「マイルスひどいよ」と抗議したが、マイルスは知らないお前が悪い、と一蹴した。この経験でマクリーンは奮起し、スタンダードの名手になる(だが、オーネット・コールマンの登場に触発されオリジナル中心主義に転向する)。

だからジャズマンにとっては、『イエスタデイズ』はビートルズの『イエスタデイ』よりも、ガンズ・アンド・ローゼズの『イエスタデイズ』よりも大事な曲なのだ。ことにベーシストにとっては。
マイルス・デイヴィスクインテットのベーシスト、ポール・チェンバース(1935-1969)の代表作、「ベース・オン・トップ」57.7.14(画像)は、モダン・ジャズ・ベースの教科書と言われるが、そのオープニングを飾るのがこの曲なのだ。Kの酷愛のアルバムで、全6曲中3曲を自分たちも演奏した。