人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

短歌と俳句(4)石原吉郎3

イメージ 1

前回・前々回を費やして、石原吉郎(1915-1977)という詩人の生涯と作品についてはイメージしていただけたとしたい。あのように生き、あのような詩を書いた詩人が作った俳句、詠んだ短歌とはいったいどのようなものだろうか。

元々、石原の嗜好は俳句にあった。嗜好というよりも強いられた条件が俳句に向わせた、というべきだろうか。石原の句作はソヴィエト抑留中に始まるが、大病を患い強制労働を免除されていた療養期間中に創作意欲が湧き、詩と思索をノートに書き続ける。だがそれは俘虜としては禁則行為に当り、年譜によると「一年間の黙認の後、取り上げられた」。そこで石原は俘虜仲間で開かれていた句会に参加を始める。俳句なら記憶に残しておけるだろう、という理由からだった。

抑留中に作句した句と、詩の合間に想像力の「解放」(著者あとがきより)として書かれた全155句と俳句をめぐるエッセイ4編を収めた「石原吉郎句集」(1974年・深夜叢書社)は著者唯一の句集となった。
この句集の成り立ちはごく自然なもので、長年に渡って創作されてきた俳句の集成になる。句集以降に12句があり、全集に収められている。

著者急逝の翌年に、生前の著者によって編集が済んでいた歌集「北鎌倉」(1978年・花神社)は99首を収めており、全編が晩年の一年間に詠まれた作品集になる(歌集未収録の9首も全集に収録)。
こちらは異様な成立過程を背景に持つ歌集で、73年頃から夫人の健康状態が悪化するとともに詩人の飲酒癖が高まり、76年の秋に夫人が入院してからは飲酒のみで絶食状態になり栄養障害と意識障害も来すようになり、年末ついに緊急入院して一か月半を解放病棟で過ごす。入院中に突然歌作意欲に駆られて三日間で30首を詠む。
77年の春~秋には数次に渡り夫人の入退院が繰り返され、夏には疲労と飲酒は頂点に達する。10月には泥酔や切腹の真似、深夜の電話など奇行が始めり、11月の夫人の入院後には酒量がさらに増し、失見当識著名になる。周囲で再入院をさせる相談が検討される。同月14日(推定)午前10時頃、入浴中に急性心不全により死亡。享年62歳。翌日訪問者によって発見。この年だけで対談集一冊(生前刊)、詩集二冊(没後刊)、歌集一冊を編集。約80首の短歌を詠み、40編以上の詩を発表。次回では具体的な作例を挙げたい。