忘れた頃に書いているアルコール依存症治療病棟への入院の思い出だが、2010年3月~5月の三か月間だったので三年半も前になる。それでも書こうと思えば新書版で上下巻くらいの分量は楽勝で書ける。入院初日から退院日まで毎日大学ノート数ページ分の日記をつけて、学習治療プログラムや同時期の入院患者たちの言動、直接・間接的に知った彼らのプロフィールといかにして入院に至ったかの詳細を記録してある。作業療法やオリエンテーション、お花見等の各種行事もあった。
なぜかはわからないが、精神病棟に入院するとぼくは男性患者からは人望が篤く(それで嫉妬され反感を買うこともあった)、女性患者からはその気もないのにもてる(これも同様)、というろくでもない目にあってきた。慢性患者ばかりの閉鎖病棟ならまだましで、他人に対する関心など失ってしまった人が多い(それはそれでつらかったが。自分もいつかはそうなってしまうのだろうか、と、ぼくの病気では幸い起りえない症状だが、人間性を失い、もはや他人とは関わりなく生きている人たちと、三か月間ひとつ屋根の下で寝起きするのはつらい)のだが、精神病棟に入院した経験のない人にあの雰囲気を文章で実感してもらうのは難しい。実際ぼくは「アル中病棟の思い出」とタイトルをつけていながら、ちっとも具体的な話題に入れないでいる。自信がないからだ。
ぼくの入院のきっかけは以前書いた。通っていた教会で信徒による牧師の罷免騒動があり、ぼくは幻滅のあまり三日三晩アルコールに逃避した。それは一時的なものに過ぎなかったが、馬鹿正直に訪問看護師とメンタル・クリニックに報告したら、アルコール依存症治療のための学習入院・三か月コースにぶちこまれることになったのだ。
ぼくの場合は医学的根拠というよりも統計(躁鬱病はアルコール依存症を兼ねることが多い)と経歴からアルコール依存症と断定されたのだが、もちろん入院患者は本物のアルコール依存症ばかりだった。
男性患者の典型的な経歴は失業や離婚によるアルコール依存、または飲酒癖による失業や離婚からアルコール依存症へ。ぼくが経歴から診断されたのはさらに入獄や躁鬱病まで加算されたからで、あれは一時のヤケ酒で普段は軽い晩酌だけと言っても無駄だった。諦めて入院生活に耐えることにした。
女性患者たちはさらに複雑だった。だがもう今回は紙面が尽きた。