人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジョイ・ディヴィジョン

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まず先にイアン・カーティスのドキュメントを視聴したが、漠然と知っていたより遥かに深刻で、たった23歳で自殺に至った事情が痛々しかった。結婚も10代のうちにしている。女の子の赤ちゃんもいた。
ファースト・アルバム発表後に年上の富裕階級の女性と愛人関係に陥る。セカンド・アルバムのリリースを控え初のアメリカ・ツアーが組まれるが、その一か月前にODによる自殺未遂を起し、ツアー出発の前々日に夫人からの離婚の申し出にショックを受け、翌朝に縊死体で発見。
元来は市の福祉課公務員職で障害者の就労ケースワーカーを勤め、『シーズ・ロスト・コントロール』は再就職が決定したのに急死した実在の少女がモデル。しかもイアン自身がファースト・アルバムの制作前に癲癇を発症し、肉体的・精神的苦痛に耐えながら公務員とバンドの両立、私生活トラブル、頻繁なライヴ活動とシングル多作やセカンド・アルバム制作、癲癇の発作と服薬の副作用による情緒不安定や知的退行など、死に至る半年間は凄惨だった。歌詞にもそれが表れているが、メンバーはイアン没後15年夫人が公表した全詞集を読むまで「こんな歌詞だとは知らなかった」。愛読書はドストエフスキーニーチェサルトル(カフカとは福祉課公務員職が共通点)。ヘッセやJ.G.バラードも好み、特にウィリアム・バロウズは朗読会に全作品を持参してサインをもらったほどのファン。
普段は知的で温厚なのに感情が暴走した時は別人のようだった(癲癇発症前から)というから感情障害の資質も推測される。その上癲癇まで発症したのでは陳腐な言い方だが、生き地獄だっただろう。
メンバーたちは、さすがイアンが死んでもニュー・オーダーになっただけあってインタビューに答える様子もタフだった。
まだまだ面白い証言がてんこ盛りのドキュメンタリーだが、イアン・カーティスに絞ればこんなところになる。アルバムはたった2枚+編集盤2作。
「アンノウン・プレジャー」79年(画像1)
クローサー」80年(画像2・イアン死後発売)
「スティル」81年(画像3・前2作未使用曲とライヴ)
「サブスタンス」88年(画像4・アルバム未収録シングル集)

追悼アルバム「スティル」収録のラスト・ライヴは、突然癲癇の発作を起すかもしれない、もはや心身ともに限界の、二週間後には自殺する、まだ23歳の青年が歌っているのだ。