・3月26日(金)曇り、にわか雨、にわか晴れ、曇り
(前回から続く)
「住んでいた時期は10年の開きがあるとはいえ、相模原市の小田急線駅近辺の街並みはあれだけの規模でありながらほとんど昭和40年代から変化していない、という点で際立っている。銭湯まだありますかねえ。イトーヨーカ堂の方のならまだありますよ、豊泉幼稚園の隣のはわかりませんが。それって駅のどっち口ですか?国立相模原病院の方です。ああ、ストリップ劇場のある方(笑)と両者哄笑。そんな話をしているうちに朝食到着。席に着くと、朝からでけえ声で笑いやがってよ、とSkさんを快く思っていないKくん(喫煙室で居合わせたのだ)。おかげですっかり目が醒めちまったぜ」
「目が醒めたのなら結構なことだが彼は坊主憎けりゃ袈裟まで憎い性格なので、なおもしつこく、なんだか仕切ろうとしやがって、極道みたいな奴。第二病棟もだいぶガラが悪くなったもんだな、とひとり嫌いなタイプが入ってきただけでこれだ。仕切らせてやればいいし、仕切れるんじゃないかな?苦手なのは同じなのだが逆にああいう人には役に立ってもらうと助かる。入院経験豊富で看護スタッフと互角に張り合えるつもりでいる人だから、Fさん退院後の患者会代表はむしろSkさんに回ってほしい。現状では消去法的に代表者・佐伯さんとなるのが目に見えているのだ(注)」
「朝食を終えて朝の会までは一時間半もないが、同室のYnさんとAtさんは朝寝をしていた。Ynさんは悟ってしまっているしAtさんは良い意味幸せにボケてしまっているので時間を有効活用しているのだ。遠足仕度は整ったのでさて自分はどういう時間の有効活用しようかというと、日記になる。一日の出来事を小分けにして書かないと半日分ならまだしも、一日分をまとめて書くと時系列やエピソードの関連性が支離滅裂になってしまうのだ。そうでなくてもこれは精神障害者の作文で、横浜医師会の書類審査では2級だが主治医は1級と診る人間が書いている」
「こんな日記の書き方は―起床から就寝まで、とにかく起ったことすべてを同時進行で書いていくのは、横浜拘置所以来になる。あの頃は書くことが生きることだった。今もそうかもしれない」(続く)
(注)Skさんは患者からも看護スタッフからも信任を得られず(おそらく意図的に)患者会代表は「佐伯さん」になった。