人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

『機動戦士ガンダム』を初めて観た男

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 まず感じたのは歴史的作品としての技術的ハンディキャップで、35年も前のテレビ・シリーズなのだから仕方がないとも言えるが、制作年代では『ガンダム』に先立つテレビ・アニメの傑作はいくつもある。筆者の好みで熱中した作品を上げれば『妖怪人間ベム』『ルパン三世(第一シリーズ)』『新造人間キャシャーン』『ガンバの冒険』『ヤッターマン』あたりだが、これらも確かに技術的には現在のアニメには見劣りするものの、技術の古さがハンディとなっていないのは、作品内容と技術に均衡がとれているからだ。
 『ガンダム』は技術が内容に追いいていない。この内容を観せるにはもっと映像的に現実性や説得力がないと、作品として不足と思わされて興醒めする場面が多い。テレビ版第一話と第二話を初めてちゃんと観て漠然と感じたのは、これは『巨人の星』と『新世紀エヴァンゲリオン』の中間に位置するような作品かな、ということだった。

 テレビ版ではリップ・シンク(音声と映像の同機)すら合っていないのには目を疑ったが、81年~82年に三部作として劇場版総集編にまとめられたものではさすがに修正されている。しかし『ガンダム』のテレビ版放映は79年で、音響と映像のシンクロナイズの重要性やアニメ分野での音響効果の成果は71年の『ルパン三世』で現代アニメにも劣らない達成を見せている。音響効果の軽視(無自覚)では『ガンダム』は当時の水準でも高いとは言えない。
 テレビ版の最初の二話を動画サイトで試聴してから劇場版総集編三部作をDVDで鑑賞した。興行面で大ヒットしたのも納得のいく、テレビ・シリーズの総集編としてすっきりした仕上がりになっている。
 だがやはり技術的に古さを感じさせるのは、当時のセルアニメ技術では総集編はテレビ用16ミリ・フィルムをデュープして編集し、35ミリ・フィルムにブロー・アップして劇場用マスターを作るしかないことで、これではテレビ放映版より画質が工程回数分落ちるし、現在のようにテレビ版デジタル・マスターなら劇場版総集編用への全面修正を含むリストアも可能だが(実際現在はテレビ放映版、劇場上映版、ディスク化などメディアを変えるごとに改訂されるのがアニメでは当たり前になっている)、デジタル技術以前では部分的な修正や新規フィルム以外はテレビ用マスターの再編集しかなかった。さもなければ完全にリメイクしなければならず、二時間半規模の総集編三部作となれば企画自体がコスト的に実現しなかっただろう。

 テレビ放映を前提とした絵コンテのために、劇場用アニメとしては非常に視界の密集した、引きのないものになっている。テレビ画面では迫力のあったものがスクリーンでは狭苦しい。DVDで鑑賞しても劇場用アニメらしいスケール感が感じられない。音響効果の乏しさも先に述べた。
内容に技術が、という内容とは、ひとまず宇宙戦争を描くにも緊迫感が伝わってこないだけでまずいが、設定、物語、人物像、これらは『ガンダム』を突出した人気作品にし、日本のアニメーション史の画期的名作とした要因であるはずなのに、どうもうまく噛み合っていないように思える。独創性や魅力はプロットにもストーリーにもキャラクターにもある。だがこの作品では個々の魅力的な要素が打ち消しあうようにして並存し、進行していくように見える。
 『ガンダム』はお好きな方も多い作品だろうし、35年も経ってどうこう言うのも野暮だが、せっかくの機会だから初めて『ガンダム』をちゃんと観た感想を記しておきたい。次回は(次回があればだが)正面から作品への賞賛と不満点を書き連ねるので、ムカつく方はスルーしてください。今回は最後に、初代『ガンダム』はデジタル技術の開発された80年代後半に、せめて劇場版総集編のサイズでもオリジナル原画からデジタル化再編集・リストアされるべきだった。時期的にオリジナル・ディレクターズ・カットと呼べるヴァージョンはその頃までが限度で、21世紀になってからでは改作でしかない。初DVD化で音声リニューアルした失敗もそこにあって、初代『ガンダム』は決定版にたどり着かなかった作品になった。もちろんこれは劇場版総集編をテレビ放映版から35年経って初めて観た男の感想でしかない。