人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン(78)

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 フローレンは素早くうつぶせに倒れた偽ムーミンの死体にかがみこむと、頭をつかんで頸椎をごきり、と捻りました。フローレンの眼はムーミンの神経系に再びニューロン伝達が復帰するのを目視することができましたから、どうやら目的は達せられたようでした。
 レストランの中では相変わらず男たちは乱痴気騒ぎに興じ、女子供は壁ぎわに避難して怯えていましたから、あえてフローレンが不可の視フィールドを張らなくても気取られることはなかったでしょう。フローレンの手際は素早く、見た目には気分のすぐれない様子のムーミンに彼女が話しかけ、たまたまそのタイミングで卒倒したムーミンを彼女が介抱したようにしか見えなかったはずです。
 それほど素早くフローレンは偽ムーミンを瞬殺し、死の瞬間に偽ムーミンの意識に浮上したすべての記憶をスキャンしました。死の概念が曖昧なトロールでさえも、具体的な死に遭遇すれば、
・走馬灯のように
 生涯の記憶が走り抜けます。時には本人の記憶から抜け落ちていたことすら浮上してくるのです。
 フローレンは偽ムーミンに近づき、一鱗の憐憫もなくこの哀れな贋者に手をかけました。想像を絶する苦界に身を置いてきた彼女にはたかだか偽ムーミンを瞬殺し、記憶を読み、すかさず蘇生させることなど雑作もないことでした。だから彼女はためらいも滞りもなく実行してしまったのですが、自分に誤算があることを考えなかったのです。
・策士策に溺れる
 とまでは言いませんが、フローレンには自分の知力や能力に関する傲慢さがありました。その点彼女もスノーク族の血統に由来する気質からは逃れられず、さらに自分がAとFの二人から成り立つという自惚れがありました。
 瞬殺した瞬間に予期し、記憶を読みながら気づき、蘇生させながら悟ったこと……それははっきり彼女の誤算を証明するものでした。
 フローレンが殺害し、生涯の記憶をスキャンし、そしてたった今蘇生させたばかりのもの。幼なじみで婚約者でもあるフローレンがこれまで一度も愛さず、その名そのものがこの谷を象徴するもの、さらに今日は彼女が気づいただけでも人目を欺いて朝から何度となく入れ替わってきたこのムーミンは、偽ムーミンでも真のムーミンでもなかったのです。それは存在し得ないはずのものでした。