人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

『機動戦士ガンダム』を初めて観た男・その2

 一週間以来鬱で、今日は何も書く気が起きない。仕方ないので下書き段階で放置していた作文を掲載することにしました。正確には、これは本題に入るまでで終わっていて、具体的に内容に踏み込むのは次回で、という書き方になっています。それなら次回はいつ書くかと言えば、鬱の人間に積極性があるわけないではありませんか。書こうと思えばすぐ書ける。でも鬱だからやる気がない。だったら書いた分でも載せてしまおう、というだけのことです。ご容赦ください。
*
機動戦士ガンダム』を初めて観た男(その2)
*
前回でもお断りしたが、この都度観賞したのはサイト上にアップされているテレビ版の最初の二話と、劇場版総集編三部作『機動戦士ガンダム』『機動戦士ガンダム2 哀・戦士編』『機動戦士ガンダム3 めぐりあい宇宙(そら)編』になる。いわゆる初代ガンダムとかファースト・ガンダムと呼ばれるシリーズで、テレビ版の放映は79年の春から。当時筆者は中学三年生で、ベビーブームの余波とも言える70年代のロボット戦闘アニメ・ブームとともに育った世代でもある。
 70年代のアニメ・ブームは実際は80年代にも持ち越されていて、『宇宙戦艦ヤマト』や松本零士原作の諸作などはまだ完結していなかった。だが『ガンダム』ははっきりと『ガンダム』以前・『ガンダム』以後という流れを作ったのが、放映当時数回観て、魅力を感じず追わなかった高校生(劇場版総集編公開時)にも実感させられたのだった。
 おおげさになるが、それはアニメの視聴者と制作者双方の意識改革といえるものだ、ということが、外側から見てもありありと感じられた。アニメに求められているものや託されているものが、『機動戦士ガンダム』という実例を得て初めて発動したかのような光景だった。
 筆者の弟は、中学生で再放送や劇場版『ガンダム』にもっとも熱中した年頃だった。弟や、他にも筆者の知るファンの没入ぶりは、それまでに『ガンダム』以外のアニメからは引き起こされなかった反響であり、新しい現象だったろう。
 だが筆者自身は身近に実例を見ながらも『ガンダム』熱には疎外されていた。登場人物は垢抜けない上に性格も明快でなく、設定もややこしいばかりかストーリーは渋滞しがちで、初代シリーズをテレビ放映で何話か観た時には人物関係すら理解できず、ストレスがたまるばかりだった。
 しかし多くの人が素晴らしさを讃えているものを、わからず終いでは損した気がする。そしてこのたび初めて全編をちゃんと観て、日本アニメ史の金字塔たるゆえんも了解できはした。が、「つまらない」と思った79年当時の感想に裏づけがあったとも気づかずにはいられない。良くも悪くもこの作品は野暮なのだ。