この団地、正確には四階建て・五棟からなる某私鉄社員寮は、1970年にはもうあった。敷地はかなり広く、夏には花火や盆踊りの会を催しているのが当時から見られたから、建てられた年代はたぶん1970年より数年はさかのぼるだろうと思われる。
おそらく入居条件があるのだろう、中庭で遊んでいるのは若い母親たちと乳幼児ばかりだった。子供が小学校にあがるくらいの学齢になると世帯の収入も上がるから、社員寮時代が終わるのだと思う。
一昨年から昨年にかけて、入居者が転居した空き部屋がどんどん増えていき、若い母親たちも乳幼児たちの姿もなくなった。これはひょっとしたら、と思っていたらまずヴェランダ、次に内装の撤去工事が始まった。歴代で何世代の交替があったかわからない。育った子供たちも、ここに住んでいた頃はまだまだ幼すぎて、記憶にはないだろう。
団地にも寿命がある。昭和37年の映画『私は二歳』は団地住まいの若夫婦を主人公に描いた駄作だが、当時「団地」とは日本人にはいかにモダンな魅力を感じさせたかがわかる。もう50年以上昔のことだ。団地は変わらなかったのだが、人の心は変わった。