人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

最近見かけないもの

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 車やバイクはまったく無知なのだが、70年代前半を境に突然なくなったものにオート三輪があった。また、皆無ではないようだが50ccのオートカブはどうなっているのだろうか?あれは強度や安定性、燃費に非常に優れた車種らしく、しかも安価なので転売用に盗難が非常に多かったと聞く。盗品売買だから近隣の海外諸国に輸出されて売りさばかれる。筆者の住んでいる県は外国人街があり、外国軍基地があり、商業港があるから薬物売買や私娼窟に次いでこんな話が多いのだ。根底には排他的な差別意識があるだろうが、外国人差別は日本人ばかりの特質ではなく、どの国にも移民や外国人労働者への差別は似たようなジョークとなって現れる。ユダヤ人・黒人・黄色人種については紀元前までさかのぼるほどだから、先数千年程度では人権的には解消されても差別意識まで霧消するのは見込めないだろう。これ以上踏み込むと真面目な文章になってしまいそうなので止める。このブログでは真面目なことはあんまり書かない決まりにしている。

 そこでタイトルに戻るのだが、バキュームカーをどれだけ見かけるかといえば全然見かけなくなったのに気づいた。筆者の生家が水洗トイレつきの建て売り住宅に住むようになったのは昭和50年で、それまで住んでいた父の勤め先の社員住宅は汲み取り式便所だった。子供だったから頻度は憶えていないが、バキュームカーが来るたびにおー、と見とれていたものだ。
 谷崎潤一郎に『過酸化マンガンの夢』という短編があり、かなり晩年の作品でもう60年代に入ってからの作品だが、谷崎家はいち早く日本で水洗トイレを自宅に設置した家庭だったらしい。新しい物・珍しい物好きで金に糸目をつけない谷崎らしい。このエッセイ風短編で谷崎は水洗トイレの楽しみをとうとうと述べており、特に水洗トイレの優れた点は自分の排泄物をじっくり観察できることとして、水に沈んだ便を見てフランス映画『悪魔のような女』を思い出した、と書いている。

 まあ谷崎は置いておいても、スカトロジーと幼児性が密接に結びつくくらいは素人考えでもわかる。さらに幼児は車が好きだから、以前保育園のすぐ隣に住んでいた頃、園庭の柵のすぐ外にゴミの収集所があり、収集車が来るたびに園児たちが大興奮してゴミ収集車!ゴミ収集車!と叫んでいたが、普通の自家用車ではなくトラックだったりタンクローリーだったり、ましてやゴミ収集車やバキュームカーとなれば興奮せずにいられようか。
 だが今やバキュームカーが道を走る姿、家に横づけしている姿などほとんど見ない。それだけ汲み取り式トイレの数が減ったからだ。昭和50年というとちょうど40年前になるが、少なくとも築40年より新しい住居や施設は水洗トイレがデフォルトということだろう。だが木造家屋の場合築30年といえばそろそろ改築が必要で、三階建てにして部屋数を増やすには鉄筋に改築しなければならないから実質リフォームどころか元の家は足場の代わりになるだけで、事実上の新築になる。当然水洗トイレになるのは言うまでもない。
 
 そこでこの画像になる。煙突みたいなものが真ん中の一軒家の裏口の中央に立ってますね。これは明らかに汲み取り式トイレの排気筒だろう。こんなに屋根のあたりまで高くそびえ立たせているのが普通のことなのか、台風でもきたら折れてしまいそうで心配する。また、場所が裏庭なのも意味ありげな気がする。バキュームカーが回りづらいが、これだけ裏庭だと通りに面した表口からはバキュームカーが汲み取り中でも見えないだろう。
 実を言うとこれは某中華料理店の裏庭なのだった。駅前の歩道から駐車場越しに見えるのだが、今まで汲み取り式トイレの排気筒まで気づかなかった。某中華料理店の斜め向かいには以前某ヤキトリ屋某ちゃんがあり、現在はスナック風の居酒屋になっている。
 無責任に面白がるわけではないし、いろいろ事情もあるのだろうが、まさか客用トイレだけ水洗に改築しているとも思えないから、汲み取り式トイレのまま(おそらく)40年以上もの間営業している外食店、というのは今どき珍しいだろう。衛生法にはどうやら水洗トイレの義務化はないらしい。ふと、汲み取り式トイレには排泄物以外の腐敗物も処理できるんだよな、と蛆のたかる絵柄が思い浮かんでしまうが、まあそれは置いておいて、2015年にもなって汲み取り式トイレの飲食店のトイレというのにも興味深いものがある。当然和式だろうな。筆者の長女(1998年生まれ)などは幼児の頃すでに和式トイレで用がたせなかった(2001年生まれの次女は平気だったが)。アンモニアサンポールの臭いもずいぶん嗅いでいない気がする。