人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新☆戦場のミッフィーちゃんと仲間たち(3)

 ハローキティのお店はジョイ・ディヴィジョン(慰安特区)♯2でした。なぜ♯2かというと、先にミッフィーちゃんのお店があったからです。現状ではこの戦地は平穏でしたが、協定通りの境界を挟んだ両側には当然ながら民間人も昔から住みついており、国境を越えた商取引は今さら取り締まるすべもないようなものでした。国境付近に住む民間人にとって国境線とは、町々を勝手に東西または南北に分断しているただの行政区分にしかすぎず、元来この地域の住民は民族的にも文化的にも同一のコミュニティに属していたのです。
 終戦からもう半世紀以上が経ち、それまではたらい回しのように植民地とされていたこの領土は新たな移民が極端に制限されるようになったため、事実上侵略戦争の時代よりも以前の、素朴な単一民族国家の姿を回復していました。独立国化を目指す動きもなかったわけではありません。それが実現しなかったのは、この地域が半分ずつ異なる大国の管理下に戦後の復興をなし、別々の行政機関を持ち、統一の動きがあれば両陣営を牛耳る大国から戒厳令が敷かれて臨戦態勢に入ってしまうからでした。
 必ずしもこの領土はは両大国にとって軍事的な重要拠点ではなく、先の大戦で属国問題が生じるまではただの辺境の植民地にすぎなかったのです。ですが植民地制が崩壊し、隣接国と併合される段になってまったく異なる政治体制の国に分断されたため、国際的な政治機関からも当事者間の課題として棚上げにされたままなのでした。ミッフィーちゃんたちが慰安特区♯1にスカウトされたのはまさに政治的対立が激化しつつある頃で、皮肉にも臨戦態勢が長引く間に本国の経済成長は目覚ましく、民間での遊興が禁じられている駐屯地在住の兵卒相手にミッフィーちゃんの店は大繁盛しました。
 全世界的にエネルギー資源の価格高騰で恐慌があった74年に、駐屯地の規模はかえって強化されました。局地的開戦の危機が高まったからでもあり、そこで♯2たるハローキティのお店がミッフィーちゃんの縄張りに堂々と開設されたのです。老舗のミッフィーちゃんのお店は古株の将校たちには贔屓にされていましたが、平均2年で兵役を済ます兵卒たちがキティちゃんのお店に流れているのは明らかでした。
 だから、とミッフィーちゃんはいきり立ちました、このまま新顔にでかい顔されちゃ私たちの面目丸つぶれじゃない?ここら辺で何とかしないと、先が危ないわよ!