人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Ornette Coleman & Charlie Haden - Soapsuds,Soapsuds (Artist's House, 1977)

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Ornette Coleman & Charlie Haden - Soapsuds,Soapsuds (Artist's House, 1977) Full Album : http://youtu.be/OFb5Z6asx28
Recorded The Hit Factory, New York City, January 30, 1977
(Side A)
A1. "Mary Hartman, Mary Hartman"(S.Shafer) - 7:44
A2. "Human Being"(C.Haden) - 7:46
A3. "Soap Suds"(O.Coleman) - 5:12
(Side B)
B1. "Sex Spy"(O.Coleman) - 9:55
B2. "Some Day"(O.Coleman) - 7:34
[Personnel]
Ornette Coleman - Tenor Saxophone, Trumpet(B2)
Charlie Haden - Bass

 オーネット・コールマン(1930~)はアルトサックス奏者でテナーサックスを吹くのは珍しく、『オーネット・オン・テナー』1961とこのアルバムくらいしかない。1965年からは副楽器としてトランペットとヴァイオリンも手がけるようになったが、サックス奏者が金管楽器や弦楽器を兼ねるというのもめったにない。また楽器はすべて独学なのでも知られ、オーネットほど大胆な抑揚と肉声に近い音色で演奏するサックス奏者は前代未聞だった。アドリブをとれば和声進行でもなく、調性からでもないアイディアから即興演奏してしまうのでミュージシャンも批評家も騒然となった。
 それは元々テキサス出身でR&Bバンドのテナーサックス奏者だった頃から培われてきたオーネット独自の演奏手法で、ロサンゼルスに上京してジャズマンに転向しても理解者はジャムセッション仲間のエリック・ドルフィー(1928~1964)くらいしかいなかったという。ドルフィーは早くからオーネットに注目し、同じジャムセッションに同席する機会を逃さなかった。

 だがオーネットには作曲の才があり、録音は認めてもらえなくてもオリジナル曲を採用してもらえないかロサンゼルスの良心的インディーズ、コンテンポラリー社に出向いて自作曲のデモンストレーション演奏を聴いてもらった。コンテンポラリー社はオーネット自身をアーティストとして2枚契約を取り交わした。デビュー作『サムシング・エルス!』1958がリリースされるとちょうど西海岸ツアーに来ていたモダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイスがオーネットに注目し、セカンド・アルバムにMJQのベーシスト、パーシー・ヒースを参加させて協力するとともにオーネットにニューヨーク進出を勧め、MJQがレーベルのジャズ部門のオーガナイズをしているアトランティック・レーベルとの契約を取りつけた。
 ルイスはジャズ界最高のエリート・ミュージシャンだったからルイスの発掘してきた新人は大々的に注目されてニューヨークに進出することになった。オーネットのバンド・メンバーはまだ20代初めだったからバンド全員がニューヨークに移住した。ポケット・トランペットにドン・チェリー、ベースにチャーリー・ヘイデン、ドラマーはビリー・ヒギンズだった。ロサンゼルス時代にはヒギンズとエド・ブラックウェルが五分五分でバンドのレギュラー・ドラマーだったのだが、ブラックウェルは家庭の事情で急にニューヨークに単身赴任とはいかなかったのだ(翌年に上京するが)。
 このオーネットのオリジナル・カルテットはジャズ史上ルイ・アームストロング&ホット・ファイヴ、オリジナル・チャーリー・パーカークインテット、オリジナル・マイルス・デイヴィスクインテットジョン・コルトレーン・カルテットと並んで5大スモール・グループ(小編成バンド)と呼ばれる。それからもオーネットとチャーリー・ヘイデン(1937~2014)は機会があるごとに共演していた間柄で、この『ソープサッズ、ソープサッズ』はテナーとベースだけのデュオという大胆な企画だが、こんなサックス演奏とベース演奏は確かにオーネットとヘイデンでないとできない。まるで神経接続か、テレパシーでも働いているかのようだ。

 オーネットの手法は方法的分析ができず、従来のジャズとは明らかに異なる発想から出発し、それでも黒人ジャズならではの優れたジャズになっていたからジョン・コルトレーンソニー・ロリンズジャッキー・マクリーンなどすでに作風を確立していたオーネットと同年輩の中堅実力派サックス奏者は、この遅咲きの新人の出現に足元をさらわれるかたちになった。自分たちが試行錯誤しながら切り開いてきたビバップ以来のジャズの革新を、オーネットは直感的に達成してしまったので、コルトレーンもロリンズもマクリーンもオーネットの方法に追従する動きがあった。この3人のサックス奏者はマイルス・デイヴィスのバンド出身者でもあったから、マイルスはオーネットをことあるごとに批判することにもなった。

 オーネットは欧米ではポスト・バップ~アヴァンギャルド・ジャズの系譜に数えられるが、日本ではもっと大雑把にオーネット1961年のアルバム・タイトルにちなんで『フリー・ジャズ』という呼び方の方が浸透している。セシル・テイラーの『カフェ・モンマルトルのセシル・テイラー』1962、アルバート・アイラーの『スピリチュアル・ユニティー』1964、サン・ラ&ヒズ・アーケストラの『太陽中心世界』1965などのアルバムによって、フリー・ジャズは60年代中葉にはジャズの最先端のスタイルと認知されるようになった。
 だが中心人物たるオーネットは62年に一旦活動を休止し、65年にカムバックしたが、その頃には急進的なテイラー、アイラー、サン・ラらと比較すればすでにオーネットの影響の浸透したジャズ界ではアヴァンギャルド中の保守派のような、手堅いポジションについていた。

 さまざまなアヴァンギャルド・ジャズのスタイルが出揃うと、何よりオーネットは、艶やかな音色と、伸びやかなメロディ感覚の魅力的なソロイストである点で突出した存在であることが再認識された。また、この頃にはオーネットの独自の発想がようやく楽理的に理解しやすいかたちで現れてきた。
 オーネット自身がハーモディロックスと呼ぶその手法は、音楽の三大要素である調性・和声・リズムが独立した単位としてパラレルに進行しても成り立つという着想から成っており、西洋近代音楽的発想からは音楽理論とは呼べないものになる。だがそれはプリミティヴなトラッドやブルースではごく普通に行われていることであり、ハーモディロックス音楽は一見西洋的音楽要素の解体に見えるが、破壊的な指向性はない。より自由で開放感のある音楽を目指しているにすぎない。

 オーネットの音楽はフリー・ジャズアヴァンギャルド・ジャズという呼び方から想像されるような尖鋭的・攻撃的なものではなく、むしろジャズのサックス演奏から初めてマッチョ的な要素を排除した、セクシーではあるがバイセクシュアル的な音色とフレージングを特徴としたものだった。楽器から限りなく肉声に近づいていこうという発想は、音楽をメカニカルでクールなものにしていくビバップからはむしろ反動的で、モダン・ジャズ以前のジャズへと回帰している要素もあった。だが今回ご紹介したアルバムでも顕著なように、オーネットのアドリブは調性からも和声進行からも制約を課さず、偶数単位の小節線すら形成しない自由きままなもので、アルバート・アイラーの方向を示唆したものでもあればラサーン・ローランド・カークとの親近性も無視できない。
 オーネットは自作曲しか演奏しないことでも知られるが、このアルバム冒頭の『メアリ・ハートマン、メアリ・ハートマン』はテレビドラマの主題歌のカヴァーだという。テナーを吹いてもアルトと音色が同じというのも面白いが、アルトだともっとアクセントが強くなっていただろう。この曲だけでもお釣りが来る名演で、サックスとベースだけのデュオで比類ない美しいバラードに仕上がっている。オーネットについては他のアルバムも順次ご紹介したい。