人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新編☆戦場のミッフィーちゃんと仲間たち(23)

 ミッフィーちゃんは自分のカリスマ性があっさり一蹴されてしまったような屈辱を感じました。そんなのってないじゃない、と自信を喪失していく時の彼女は、確かに一介のナインチェにすぎませんでした。でもどうして彼女の方からお店をたたまなければならないのでしょう?もともと元祖と呼べるのはこちらの店の方なのです。肩身の狭い思いをするいわれなどひとつもないはずで、なるほどお客は減っているかもしれない、その分売り上げも落ちているのは認めないではない。しかしひところに較べればこれでも持ち直した方で、大人になったからと言って縁が切れるお客さんばかりではなくなってきた。戦場とはひとつのテーマパークなら、その中にはミッフィーのシマがあり、さきほど見てきたばかりのハローキティのシマがあり、たぶんあのビーグル犬のシマもあると思われました。二足歩行する犬、というだけであの犬は自分たちの同類らしき匂いがしました。二足歩行するねずみの王国、というのもきっと世の中にはあり、さすがにねずみまでが擬人化の対象になるとねずみをねずみと呼ぶことさえきわどい禁忌にもなり、犬ならば擬人化しなくともかなりの知性と協調性があるとされますから犬であることは問題にはなりません。ねことうさぎではかなり差別されていますが、帰巣本能のあるなしで差別するなら人間だって怪しいものです。一定の条件下なら帰巣本能がないとされる生物にすら帰巣本能は後天的に芽生えます、と断言してまずければ、起こり得る、と言い換えてもいいでしょう。それを言えば巣作りをする動物の範疇に入る以上、ねずみにも一定の人格を認めないと公平を欠くとも言えますが、たとえハローキティを認めざるを得ないとしても、また、あのビーグル犬とはかぶらないからいいや、という根拠のないカンが働くにせよ(もっとも、もし本当にビーグル犬だったとしたら本来狩猟犬ですから、近づくと命に関わりますが)、ねずみだけはどうしてもミッフィーの美意識を逆なでするのです。だとしたらハローキティはどうなんだろう?初めてお店を見てきたばかりですが、お客さんはといえばギラギラしたマッチョのグループにアジア人の幼稚園児と、何だかよくわからないものでした。そしてあの軍人きどりのビーグル犬です。もしあんな連中がうちの店に来たら、と思うとナインチェは想像しただけでもげっそりしました。しかしこれでは負けを認めたも同然です。