人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ごつ盛りソース焼きそば(改)

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 身近なジャンクフードもいろいろあるが、あって当たり前というくらいに普及してながらやっぱりこれは、原型になった食品とはまるで別物ではないか、というのならカップ焼きそばの右に出るものはないだろう。これよりすごいのがあるとしたら、「そのままお子さまのおやつにも、牛乳と砂糖をかけて朝食にも、災害時非常食にもいただけます」という固形ビスケットタイプのドッグ&キャットフードとくらいか。ちなみに入院した時に患者仲間だったホームレスのおじさんによれば、固形ではなく缶詰だが、キャットフードは食えたもんじゃないがドッグフードはいけるそうだ。

 カップラーメンならまだいい、というのは、日本にも乾麺の伝統があり、茹で上げではなく熱湯の浸透で仕上がる汁ラーメン(またはうどん、そば)だからそう違和感はない。だがカップ焼きそばは湯戻しした味つき油揚げ乾麺を湯切りして、ソースをかけただけではないか。焼きそばといっても炒める手間をかけずに、ただ焼きそばのような味になっているだけのものを焼きそばと呼ぶのは、焼きそばという大衆的エスニック食(大仰かもしれないが)の伝統にあまりにも敬意を欠いていないか。

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 エスニック料理といえば、日本、もとい東京ほど全世界の民族料理が出店している都市はないのも、外国人観光客にとっては半ばあきれながら魅力の一因らしい。日本が統一国家になったのはドイツ連邦共和国と同じ頃で、まだ150年も経っていないわけで、江戸時代などは藩単位が小国だったのだから統一前のドイツと同じだし、合衆国のアメリカはなにしろデカいので未だに州単位が自治国家みたいなものだろう。そして食文化とは民族や行政区分が細分化されているほど多種多様な平行発達を遂げるものではないだろうか、と考えられる。

 そういう食文化の自然な発生・発展から見ても、カップ焼きそばは破壊的な突然変異食品なのではないか。明らかにこれは焼きそばもどきであって、目的は違うがこんにゃくゼリーとか、食品のふりをした擬似食であり、嗜好食でしかないようなもので、しかも普通の麺食に化けているのがこわい。これが普通になると、カップ焼きそばは好物だが、蒸し生麺を野菜や肉・海鮮と炒めた真正の焼きそばは全然好きではない人もいるかもしれない。もちろんすべての麺類は平等であるべきだが(トコロテンは微妙だが)カップ焼きそばをも正統な麺類とすると麺類平等の原則が疑わしくなってくるのだ。これは食文化全体に及ぶ問題でもある。

 本来なら異文化である土壌に受容された飲食物が食生活のアクセントになるのもよくあり、たとえばトマトは江戸時代に渡来したが一般に食されるようになったのは昭和(1926年~)以来のことだった。詩人の小野十三郎(1903~1996)の第1詩集『半分開いた窓』は1926年の刊行だが、11月だからぎりぎり大正16年中の作品になる。この詩人の昭和最後の年、1989年の詩集『いま いるところ』は前作『カヌーの速度で』1988から1年で60編の新作を収めた詩集で、『カヌーの速度で』前年には60年来の詩人仲間の草野心平秋山清、そして『いま いるところ』刊行半年前には60年来連れ添った夫人が亡くなり、詩集制作中にも詩人仲間の藤沢恒夫の訃報が入ってきた。令嬢4人が嫁ぎ先から代わるがわる訪ねてきてくれたが、一人暮らしになった小野十三郎は執筆は夜、昼は事務や面会者の応対という生活リズムのために朝は喫茶店にモーニングに出向くを日課にする。その詩がこの「レモンのすっぱさ」になる。

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 この詩はあと3行あり、「果てには道はないが/おれの歩いている時間には/それがある。」と締めくくっている。
 次の詩も同じ詩集からで、やはり朝食を喫茶店のモーニングでとる楽しみを書いた詩だが、86歳の寡夫となった老詩人の詩と思うと、張りがあり無理がない表現には感嘆する。こちらのタイトルは「フォークにスパゲッティをからませるとき」で、これが全行になる。

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 これはやっぱり「フォークにスパゲッティをからませる」からサマになるのであって、「割りばしでカップ焼きそばにソースを交ぜる感覚が/おれは好きだ。」ではもうちょっとマシなもの食えよ、という気になる。それはカップ焼きそばよりもスパゲッティの方が人間的で、食文化の中では満足のいく指数が高いからでもあるだろう。割りばしは好きではないので普通の塗りばしで食べるが、それでもカップ焼きそばにはなーんでまたおれはこんなの食べてんのかな、ちゃんと袋麺の焼きそば作った方がうまいし栄養価もバランス取れてるのに。これもそれなりにうまいけどカロリー高いだけで栄養価には相当問題あるし。でもたまに食べたくなるんだよな、しかも胃腸の調子が良ければ大盛りで、と思いながら、黙々とカップ焼きそばを夜食にいただくのだった。