人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

こういうのが好き、またはレーションの日々

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 サバの照り焼き、焼売、だし巻き玉子風つみれ、主に根菜の野菜の煮しめ。スーパーで買ってきた総菜セットだが、こういうのが好きなのかもしれない。要するに学校給食や入院食、刑務所食(留置場食と拘置所・刑務所食は違うが)のような、自分でメニューを選べはしないが満遍なく毎食いろんなおかずが組合せてある食事、専門の調理場で案配してくれるものならきっと栄養が偏ることはないだろう、という安心感がある。食事に好みが入ると自分の好みでしか選ばないが、出されたもので他に選びようがないなら好き嫌いを言わずに全力で食べるしかない。これは受け身の態度のようでいて順応力の鍛錬でもあって、普通、人は家庭環境に応じた食生活、早い話が保護者に与えられてきた食事内容を刷り込まれて成長してしまうから(あるいは保護者が許容した好き嫌いの範囲)、40代で初めてオカラを食べることもあればこれまでずっと絶対拒否してきたマヨネーズやニンジンを嫌と言えない日もやってくる。それが給食、入院食、刑務所食の類で、軍隊では簡単にレーション(ration、配給またはエサ)と呼ぶ。実に即物的でいい。もっとも兵役の経験はないが、国家による個人の身柄の直接徴収としては未決囚監も同じようなことだ。

 義務教育、入院、拘置、兵役といった場所では食事は休息でも社交でもない。生命維持と健康管理のためのレーション、つまりエサでしかない。そうした環境ではエサをきちんと平らげられるかで不利有利が生じる。もとより身体は特に丈夫な方ではないのだが、初めての入院は40代半ばのことで、初めてにして最後の留置場~拘置所生活を送ったのは8年前だから入院経験に先行するが、出された食事を残したことは一度もなかった。好き嫌いの多い同房者に、お前そんなのよく食えるな、と絡まれたものだ。美味しいですよ、と軽く受け流すと、シャバでは何喰ってやがんだ、とさらに絡んできたが馬耳東風を決め込んだ。ここで何が出されても完食するに越したことはないのだから。かえって、それならあんたはシャバではこれより良い食生活を送ってきたのか、こんなところにいるくらいではとてもそうとは見えないぞ、と思ったものだ。それに結局文句をつけながら毎食早食い完食しているじゃないか。

 ちなみに留置場は警察署で検察局による起訴が決定する前の被疑者の監禁室なので食事は仕出し弁当で、美味いがヴォリュームが少ない。起訴の決定とともに裁判の結審までは拘置所で、まだ未決囚だからひたすら待機させられる。食事は併設されている刑務所、こちらは実刑判決後に移室されるのだが禁固か労役があるが拘置所待機中の未決囚は実質禁固刑同然で、拘置所と刑務所は調理室で受刑者(調理師免許取得者も多いのだ。散髪は理容師経験者の囚人が従事する)が調理したものと、たとえば魚料理・鶏肉料理などは皮や骨が混入していると囚人にも危険なら悪用もしかねないので皮を取り骨を抜いたレトルトパックが出される。これが箸でほぐれるほど柔らかく加圧調理してあって、老齢で咀嚼力の弱い囚人でも食べられるくらいで、離乳食にも使えそうなほどだ。メニューは非常に多彩でご飯も1食2合は出される。ただし土曜の朝だけは毎週味噌汁と焼き海苔とお新香・納豆なのでがっかりした。

 初めての入院は6年前だったが、ここでも1日3食レーションの日々だった。低血糖と脱水症状で危篤入院の時は2週間栄養と鎮痛点滴だけだったが。当時は主治医の診断では障害等級1級以上の症状をくり返しており、2008年12月~2011年3月の30か月間に5回入院して、合計入院期間10か月におよぶ。当時、市の福祉課の担当ケースワーカーが障害者や生活困窮者のケア(もちろんきちんと見きわめた上でだが)に出来る限りのことをしてくださるHさんで良かった。担当者によっては福祉枠を広げる代わりに受給者単位の扶助削減を目指している考えの人もいて、2年半に入院5回、年間の1/3は入院など認めてくれず、扶助継続条件にアパートを引き払い施設入所を迫られていたかもしれない。病院のレーションは学校給食に似ていた。ヴォリュームは控え目、1日3食合計で1900kcal前後だった。おかずは少量ずつ1汁3菜で、魚料理と野菜の煮付けやソテーが多かった。拘置所食は麦混合飯だったが入院食は薄黄色く、ビタミン添加炊飯だったのかもしれない。

 留置場はどこも仕出し弁当らしいが、拘置所(と刑務所)は予算と調理管理者によって違うだろう。入院食も病院によって多少違った。精神科の入院では、配膳されたトレイを個室に持ってきて食べる病院もあれば、テレビのあるホールを食堂にして集まって食べるところもあった。拘置所でも精神病院でも異様なくらいに誰もが食事が早かった。噛まずに飲み込んでいるとしか思えない。どこでもいちばん食べ終わるのが遅いので、集団で食べるのは苦手になってしまった。クリスチャン育ちの習性なので食事は主(神)に感謝しながら味わって食べるのが習わしだし(祈りながら食べている、といっても良い)、つい最近まで幼い女児たちの父親だったので子供の食事の速さで食べるのに慣れてしまっているし、それに毎回バランスのとれた献立なので食事しながら献立を記憶し、後日のために味や食感からレシピを推定して覚えこみながら食べる。だからどうしたって遅くなるのだが、それは毎回の食事を楽しめるだけ楽しみたいからだ。だがこれほど持て余すくらいに時間の余裕があるのに、どうしてじっくり食事を楽しむ人がいないのだろう。

 決まっている、ここでは食事はレーション以上の何でもないからだ。会話しながら食事している人は誰もいない。ふだん幻覚や幻聴を相手にひとり言を1日中ぶつぶつ呟いている人も何人もいたのだが、ある意味、食事中はその人たちは幻覚や幻聴からも逃れているようだった。人は生きるために都会に集まってくるはずなのだが、なのに都会では何もが滅んでいくように見える、というのは小説『マルテの手記』(1909独・リルケ)の書き出しで、街に出るとまず病院が目についた、歩いている人が突然倒れた、と続くのだが(この小説全体が夭逝した青年の遺稿集という体裁を採っている)、100年前の文学作品ですでに人間にとっての文化の無力さ、人間性の老廃化という現象が指摘されていた。リルケの時代には社会構造の激変が人間を疎外するかたちで現れた。基本的には現在もその延長なのかもしれない。異なるとしたら、今や壊れてしまったのは主に人間の方で、むしろレーションのような制度的食生活の方に健全な食文化が維持されていることだ。そしてレーション、つまり給食、入院食、兵糧、刑務所食ほど不満たらたらケチをつけられるものはない。問題はたぶん選択の自由にあるのだろう。だが賄いなどできない状態の人間に、適切な食生活の選択ができるだろうか。