人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年1月26日~31日・サイレント時代のハリウッド女優(続)

 今回も引き続きサイレント時代のスター女優作品を観ていきました。小林信彦氏の『世界の喜劇人』にヴァレンティノもスワンソンも退屈なのにサイレント喜劇は今でも面白いのは何故だろう、という記述がありましたが昭和一桁世代の人が70年代にそう感じたのは本心からのことでしょう。ですがそれからさらに4、50年近く経って、戦後映画も半世紀あまりの過去となれば遠近法はそう大差なく、むしろサイレント映画は若返って観られるようになってきています。チャップリンキートンは面白い、けれどグリフィスやシュトロハイム映画、ヴァレンティノやスワンソンだって面白いじゃないかと思って今回の作品も楽しみました。

1月26日(木)グロリア・スワンソン(1899-1983)
セシル・B・デミル(1881-56)『男性と女性』(アメリカ'19)*93mins, B/W, Silent with Sound
・原作ジェームズ・バリー『あっぱれクライトン』、トーマス・ミーアン(1889-1936)共演。当たり前だがゴダール『男性・女性』'66とは無関係。80代未満(笑)の世代にとってはスワンソンは『サンセット大通り』'50の人だが、この芳紀20歳のスワンソンを観るとイメージが覆る。快活でキュートな魅力にあふれている。お話は無人島に遊覧航行中の富豪一家の私有客船が座礁し、生活力のある使用人たちと富豪一家の地位が逆転する風刺喜劇だが、まだ28歳のデミルは才気に富んで冴えている。しかも俳優たちが全員うまい。スワンソンはプライドが高い令嬢役だが無人島生活のリーダーシップをとる執事にあっという間にメロメロになる。テンポよく演出も緩急自在で痒い所に手が届き感心するし、時折はっとするような見事なカットもあるが、基本的には伝達効率優先で全体的な絵面が汚いデミルの欠点は本作にもある。この作品もほとんどセット撮影だろうが、もっと初期の『チート』や『カルメン』にはほとんどなかった屋外セット(ロケかと思うほど大規模なのがすごい)の多用が作品を風通し良くしている。この風刺コメディ路線はルビッチとも違う味で面白く、トーキー以降のデミルからはなくなってしまうと思うともったいない。

1月27日(金)ルイーズ・グローム(1988-1970)
フレッド・ニブロ(1874-1948)『性(セックス)』(アメリカ'20)*58mins, B/W, Silent with Sound
トーマス・インス・プロダクション名物ウィリアム・S・ハート主演西部劇でヒロイン・デビューしたグロームがサイレント期の名匠ニブロ監督作でヴァンプ役を演じて批評、観客動員ともに大成功。日本では試写上映で邦題まで決まったのに未公開になったらしい。このタイトルは1920年にはきわどすぎたのは想像に難くない。これもヴァンプものだが、誘惑してモノにした男がそのうち他の若い女になびいていく因果応報に浮気性の男への風刺とヴァンプ型女性の悲哀があってヴァンプ一筋のセダ・バラ映画から一歩を進めたフラッパー型の都会的ソフィスティケーションが薄味ながらある。1910年代と1920年代の違いと言ってもよく、観客の要求が高くなってきたのだろう。チャップリン映画がコメディからドラマに移ってきたのも『犬の生活』'18~『キッド』'21の間のことだった。ヴァンプ映画の型を踏襲して男女の恋愛の機微を描く方に力点をシフトさせている。セダ・バラ映画の破滅性より微温的になったとも言えるがサイレント映画も定番の活劇や史劇が続く一方チャップリンの『巴里の女性』'23やルビッチの『結婚哲学』'24の洗練に進むわけで、'20年に本作の方向性は時期尚早だったかもしれない。ニブロは『奇傑ゾロ』'20、『血と砂』'22、『ベン・ハー』'25の娯楽路線のイメージが強いし本作もあくまで娯楽映画としての不倫愛ものを意図したと思うが、フラッパー女優の流行より早く反フラッパー的なスタンバーグの『紐育の波止場』'27やムルナウの『サンライズ』'27に近いビターなドラマを先取りしたとも言える。ニブロはトーキー初期に監督を引退したが、再評価の日は来るか?無理かなあ。

1月28日(土)ニタ・ナルディ
フレッド・ニブロ(1874-1948)『血と砂』(アメリカ'22)*60mins, B/W, Silent with Sound
・ニブロの代表作の一つで、主演は闘牛士役のルドルフ・ヴァレンティノ(1895-1926)。これはナルディが純真なスター闘牛士を誘惑して振り回し、家庭崩壊させて人気も凋落し、闘牛士のキャリアまで破滅してしまうまで追い込む純粋ヴァンプ役を演じる。キャバレー・ダンサー役のセダ・バラやルイーズ・グロームのヴァンプと違うのは本作のナルディは経済的な目的から闘牛士に近づいてはいないので、スター闘牛士を誘惑すること自体が愉快犯的な富裕階級の女性になっている。『性』があまり成功していないが意欲作とするなら、こちらはそつなくまとまった成功作ながらあくまでヴァレンティノとナルディのスター映画という感じで、闘牛士らしくもヴァンプっぽくも見えないのが微妙。つまり主演二人が大根役者なのだが嘘偽りなく大根役者であることがヴァレンティノやナルディのスター性なのだから映画としてはリアリティを追求するとかえって華を失うことになる。明らかに嘘臭い闘牛シーンや本筋と関係ないエピソードがかなり混入しているのも計算違いとは思えないので、結構深読みのできる作品かもしれないと思えてくる。サイレント時代の映画によくある、単なる不完全版かもしれないが。

1月29日(日)アラ・ナジモヴァ(1879-1945)
チャールズ・ブライアント(1879-1948)『サロメ』(アメリカ'23)*42mins, B/W, Silent with Sound

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・ナジモヴァ最大の野心作。オスカー・ワイルド原作の本作は44歳の出演作ながら16歳の舞伎サロメを演じる。企画・製作・プロデュースもナジモヴァ。監督はナジモヴァの内縁の夫でもあった俳優チャールズ・ブライアントで、ナジモヴァがレズビアン、ブライアントがゲイなのは事情通には周知だったから偽装結婚だったと言われる。新約聖書サロメの話は男のマゾヒズムを誘うらしく古今東西人気があり、似た話も世界中の伝承にあるが、本作がアメリカ映画には珍しい芸術映画系の異色作として話題になったのはスタッフ、キャストともに演劇畑の人材が集まり、『カリガリ博士』'19以来のドイツ表現主義映画の前衛演劇性とも異なる前衛舞踏的演出を試みたからだった。『椿姫』'21では舞台仕込みの名演で大ヒットさせたが『サロメ』は賛否両論の問題作になり、夫婦共作だけあって演出の狙いは当たり、ロシア系亡命ユダヤ人にしてレズビアンのナジモヴァ、英国人ゲイのブライアント両者の感受性が耽美的に結晶しており、ジャン・コクトーの『詩人の血』1932やケネス・アンガーの諸作、ウェルナー・シュレーター『アイカ・カタパ』1969など特殊な実験映画の祖とも言うべきゲイ映画になっている(この場合のゲイは男女両性。ゲイ自体はドイツ表現主義映画で題材にされた先例があるそうだが、映画そのものがゲイの感性で作られたのは『サロメ』が初めてかもしれない)。異性愛者の社会では同性愛は抑圧すべき感受性とされているから『サロメ』の賛否両論は当然で、結果的にはナジモヴァの映画界での地位を失墜させる原因になった。ブライアントが監督ではあるが真の作者はプロデューサーで主演のアラ・ナジモヴァで、ブライアントの役割は真の監督ナジモヴァを代行するチーフ助監督だったのではないかと思えてくる。シュトロハイムチャップリンキートンと同じ監督=主演俳優ならではのムードがあり、ナジモヴァ・プロダクションからの作品はすべてナジモヴァ・プロデュース(時には脚本も担当)だから、女性ゲイ/ユダヤ映画作家兼総合映画人としてのアラ・ナジモヴァチャップリンと並ぶインディペンデント映画の両雄で挫折の規模では女性のシュトロハイムかもしれない。1923年にハリウッド内部でアンチ・ハリウッド映画を作ったのはシュトロハイム『グリード』、チャップリンの『巴里の女性』に匹敵するものではないか。

1月30日(月)メアリー・ピックフォード(1892-1979)
ウィリアム・ボーディン(1892-1970)『雀』(アメリカ'26)*81mins, B/W, Silent with Sound
・フロリダの沼沢地帯で誘拐児童の人身売買を営む犯罪者一家。9人の児童と1人の赤ちゃんを率いて決死の逃走を試みる最年長の少女(ピックフォード)。相当陰惨で異様な設定で、監督のボーディン(ボーダイン)はジョン・フォードと同世代で生涯180本近い監督作のある中級娯楽映画監督らしいが、淀川さんが指摘する通りディズニー映画はこの作品から生まれたようなものだろう。子供たち(原題『Sparrows』は『子雀たち』と訳すべき)が本当にピックフォードになついていて、ピックフォードも懸命に子供たちと泥まみれの脱出を決行している緊迫感と愛情が映画にあふれている。リリアン・ギッシュとともに短編時代のグリフィス映画でデビューした人だから本作はもう30代の作品だが。10代の少女を演じて違和感のない清純さもすごい。確かに古い映画だが、こういう映画の楽しみや感動に古い新しいもない。名作。

1月31日(火)グレタ・ガルボ(1905-1990)
クラレンス・ブラウン(1890-1987)『肉体と悪魔』(アメリカ'27)*111mins, B/W, Silent with Sound
・二枚目俳優ジョン・ギルバート(1899-1936)共演。スウェーデン出身のガルボのブレイク作品。特に女性ファンの熱狂がすごかったという。このタイプの美人は男にとっては三日で飽きる顔だからわかる気もする。『雀』もそうだが本作も演出やカット割りがもうトーキー直前で、映画の完成度が高い分サイレントに徹した表現かいっそトーキーだったら良かったかはっきりしてくれ、とも思う。ガルボの役はこういう女いるよなあ、とそれなりに実在感のある二股癖の抜けない女で、当然トラブルの火種になるからはた迷惑なのだが、原作の情痴小説そのままとしても現実的な解決法としてはこの映画はまあこれしかないよなあ、という解決に至る。ガルボの代表作はトーキーになってからの10年間にあると思うが、サイレント時代にブレイクした幸運も確かにある。本作の文体はトーキーに近いが、サイレントなのでガルボの神秘性が増しているのは間違いない。今回観たサイレント時代のヒロイン映画の中で、女でひどい目にあったことがあるほどやれやれと思わせられるのは本作が一番かもしれない。