人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ドレスデン・パフォーマンス The Dresden Performance (Virgin, 1990)

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クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ドレスデン・パフォーマンス The Dresden Performance (Virgin, 1990) Full Album : https://youtu.be/qmJmJe1sFnA
Recorded Live At concert on 5 August 1989 in Dresden (1, 2) and March-May 1990, Klaus' studio in Hambuhren (3, 4, 5)
Released by Virgin / Venture Records Venture CDVED 903 (2CD), Venture 903 as 1LP "Dresden - Imaginary Scenes" (Studio Tracks Only), October 1990
Produced and All Composed by Klaus Schulze
(CD 1)
1. Dresden 1 (Live) - 44:06
2. Dresden 3 (Studio) - 10:28
3. Dresden 5 (Studio) - 18:23
(CD 2)
1. Dresden 2 (Live) - 47:09
2. Dresden 4 (Studio) - 22:01
[ Personnel ]
Klaus Schulze - electronics

(Original Venture "Dresden - Imaginary Scenes" LP Front, Liner Cover & Side a/b Label)

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クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ドレスデン・パフォーマンス The Dresden Performance (Virgin, 1990) Full Album : https://youtu.be/qmJmJe1sFnA
Recorded Live at concert on 5 August 1989 in Dresden (1, 2) and March-May 1990, Klaus' studio in Hambuhren (3, 4, 5)
Released by Virgin / Venture Records Venture CDVED 903 (2CD), Venture 903 as 1LP "Dresden - Imaginary Scenes" (Studio Tracks Only), October 1990
Produced and All Composed by Klaus Schulze
(CD 1)
1. Dresden 1 (Live) - 44:06
2. Dresden 3 (Studio) - 10:28
3. Dresden 5 (Studio) - 18:23
(CD 2)
1. Dresden 2 (Live) - 47:09
2. Dresden 4 (Studio) - 22:01
[ Personnel ]
Klaus Schulze - electronics

(Original Venture "Dresden - Imaginary Scenes" LP Front, Liner Cover & Side a/b Label)

 '90年2月発表の初の完全CDフォームの大作『Miditerranean Pads』で復活を印象づけたクラウス・シュルツェですが、先立つ'89年8月に6,800人の観客動員数を記録した大成功のドレスデンでのコンサートからのライヴ録音を44分と47分にも及ぶ2曲に、さらにスタジオ録音テイクをLP1枚分相当追加録音して発表したのが本作で、全5曲を収録したCD2枚組と、スタジオ録音テイクのみを収録したLP"Dresden - Imaginary Scenes"の2通りで発売されました。ライヴ録音曲はLPならばそれぞれAB面通して1枚分の長さになるためLPでは分割収録せざるを得ず、アナログ盤時代のクラシックやジャズのアルバムではそうした分割収録も行われていましたが、シュルツェは第1作『Irrlicht』'72でのみ同一楽章をLPのAB面に振り分けたことがある以外はLP収録時間の限界の30分あまりを使っても面をまたぐのは避けてきたので、CDフォームの普及を待って初めて30分の制限のない演奏を披露する気になったのでしょう。'95年の3枚組CD『In Blue』ではディスク2、ディスク3はそれぞれ2曲、3曲を収録していますがディスク1は「Into the Blue」1曲、78分25秒とCD収録時間限界の長さの1曲を披露しています。それも近々ご紹介することになりますが、本作は『Miditerranean Pads』で幕を開けた'90年代シュルツェの金字塔的アルバムとして、'70年代の名作傑作連発時代のシュルツェのアルバムに匹敵する評価をたちまちのうちに勝ち得ました。シュルツェはワレサ政権による民主化直後の'83年にポーランドでコンサートを行い、ライヴ・アルバムを出していましたが(シュルツェの古巣タンジェリン・ドリームも同年にポーランドでのライヴ・アルバムを発表しました)、ドレスデン第二次世界大戦敗戦後には東ドイツに属していた都市で、'89年は翌'90年の本格的な東西ドイツ統合を控えていた年でした。またドレスデンは中世からの長い歴史を持つ都市でしたが、ドイツ軍の軍事施設があったこともあり'45年2月にヨーロッパ大陸では空前絶後の規模の爆撃が連合国によって行われ、一夜で確認された一般市民の死亡者だけでも25,000人~35,000人、行方不明の推定死亡者は135,000人~200,000人に上る(この無茶苦茶な誤差の幅に災禍の巨大な規模があらわれています)とされています。ドイツはほぼ敗色が濃く降伏は時間の問題とされていた時期にドレスデン爆撃は行われたので、ヨーロッパ大陸におけるホロコーストとしては他に類を見ないものでもあり、東京大空襲('45年3月10日の一晩で10万人の死亡者、100万人を超える羅災者を出しました)や広島・長崎への原爆投下の規模よりは小さいのですが西欧人の感覚では日本は文明国ではなかったのに対し、ドレスデン爆撃はヨーロッパ内部での虐殺戦争であり、西欧の連合国諸国間でもさまざまな遺恨を残しました。シュルツェが'89年にドレスデン・コンサートを行い'90年にライヴ・アルバムとして発表した背景にはそうした歴史があり、本作の発表には単に音楽作品の発表にとどまらない文化的意義も大きかったであろう事情が想像されます。
 ただでさえスケールのでかかったシュルツェ作品が本作では過去最大規模の2時間20分ものアルバムになり、『Cyborg』や『Timewind』の沈鬱なシュルツェが'90年代ヴァージョンになって戻ってきた観のあるアルバムでもあり、手法的には『En=Trance』で確立して『Miditerranean Pads』でよりすっきりしたアルバムに仕上げた延長にあるのが本作です。'80年代のシュルツェのアルバムも苦心のデジタル化第1作『Dig It』はともかく、『Trancefer』や『Audentity』、『Angst』『Inter*Face』『Dreams』『En=Trance』とどれも良いアルバムだったのですが、ライヴ・アルバムの『Dziekuje Poland Live '83』を除いて'70年代のシュルツェのアルバムにあったような偶然性が吉と出たような流露感、開放感よりも自意識や内向性が目立っていて、かつてのシュルツェのアルバムの感覚の解放が人類の集合無意識や超越感覚とも呼応しあっていたようにはいかず、'80年代のシュルツェは知的な抑制によって試行錯誤のスパイラルの中にとらわれていた、とも見えます。『Transfer』『Audentity』『Angst』『En=Trance』などは並のアーティストなら生涯の傑作レベルのアルバムですが『Irrlicht』から『Dune』にいたる12作の'70年代シュルツェのアルバムはシュルツェ自身にとって越えられない壁になってしまっていたと言えるでしょう。その意味で、『En=Trance』は『Dreams』まではまだあったシュルツェのミスティフィケーションというか、神秘的なインスピレーションに依らずにすっきりと音楽構造を整理して、『Dig It』まで一旦戻ってあのアルバムでは何が意図通りにはいかず、『Transfer』以降では折衷的な発想に音楽的成果を求めることになったかを考え直し、そこで得た音楽的成果を折衷的要素なしに絞りこむことに成功したアルバムでした。『En=Trance』、『Miditerranean Pads』、そして畢生の力作である本作『The Dresden Performance』も、結局は謎めいた巨大な創造力から生まれた'70年代シュルツェの魔術的作品群と比較すれば理詰めの創作力から作り出された名作傑作にすぎないとも言えます。しかしシュルツェが向かっているのはもうかつての作品で生み出してきた混沌や幻覚ではないので、もっと明確な輪郭を持ちリスナーの覚醒をうながす音楽です。そうした音楽とすれば、本作はかつての『Cyborg』や『Timewind』からの正統な発展として同等の巨大なスケールを持つアルバムと認められるものですし、'70年代のままのシュルツェには決して到達できなかった高度な抽象性と肉体的な厚みを両立させてみせてくれた音楽です。またシュルツェが本作にこめたモニュメントとしての意義(委託作品だったかもしれません)がロマン派的な内面性ではなく社会参加的な積極性であることにも、強いアーティスティックな意志を感じさせられます。