人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年7月26日~28日/マルクス兄弟の長編喜劇(3)

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 マルクス兄弟の映画は、本格的映画デビューとなったパラマウントから5作('29年~'33年)、MGM移籍後に5作あり('35年~'41年)、それにチーム解散記念作品である独立プロ製作、ユナイテッド・アーティスツ配給の『マルクス捕物帖』'46の11作が日本劇場公開もされた真のマルクス兄弟映画で、他にはMGM在籍中にRKOとの単発契約でグルーチョ、チコ、ハーポが出演した『Room Service』'38がありますが元々マルクス兄弟とは無関係なヒット舞台劇の映画化作品であり、また'49年に独立プロ製作、ユナイテッド・アーティスツ配給で公開された『Love Happy』はハーポの主演映画にグルーチョとチコがゲストで客演したアンコール的作品でした。グルーチョも単独主演作が'47年~'52年に3作ありますが、正真正銘のマルクス兄弟映画ならば最初に上げた時期の11作になります。マルクス兄弟映画は'30年代のトーキー化以後のスラップスティック・コメディとしてもっとも広く観客に愛されたもので、その後のアメリカ喜劇映画の源流にもなっているのでどこかで観たことのあるようなギャグやジョークが頻出しますが、元をたどれば実はマルクス兄弟映画からの頂きだったりするのが実状ですし、マルクス兄弟も必ずしもオリジネーターとは言えず'10年代半ばからのサイレント喜劇、マルクス兄弟の出自でもあった舞台喜劇で多くのコメディアンたちが誰が発祥でもなく磨きをかけてきたものであり、マルクス兄弟映画はその集大成とも言える側面もあります。マルクス兄弟はもともと舞台芸人だったので映画への執着は少なく、映画界での活動は実働12年で切り上げると後は散発的な企画に乗る程度で悠々自適の引退生活を送りました。チーム解散記念作品の戦後作『マルクス捕物帖』はともかく、キャリア前半のパラマウントからの5作、キャリア後半のMGMからの5作にははっきりと質的な変化が見られます。たった11本ですからマルクス兄弟映画は長年映画を観ていればいつの間にかひと通り観ているようなものですが、マルクス兄弟は'29年映画デビューでトーキー期の喜劇チームながら、パラマウント時代とMGM時代にはロイドやキートンで言えば全盛期のサイレント作品と、衰退期のトーキー作品に相当するような落差があり、正直言ってMGM時代のマルクス兄弟映画は1、2度観て十分か、それ以上観るならテレビのながら観程度で十分なものです。よって大した感想文にはなりそうになりませんが、それでも未見の方にはこれらのマルクス兄弟映画は1度は必見のアメリカ喜劇映画の古典であることを強調させていただきます。

●7月26日(木)
『オペラは踊る』A Night at the Opera (監督サム・ウッド、MGM'35)*91min, B/W; 本国公開1935年11月15日

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) 古典的なギャグと音楽が満載のマルクス三兄弟MGM時代作品の第1作!その後の喜劇界に大きな影響を与えた"船室スシ詰めシーン"は、この作品に!ケチな企画屋ドリフトウッド(グルーチョ・マルクス)は社交界に仲間入りする為に富豪の未亡人クレイブール(マーガレット・デュモント)に取り入ることに成功し、ニューヨークのオペラ座に本場オペラ座の人気歌手ラスパリ(アラン・ジョーンズ)を招く資金提供の約束を取り付ける。一行はミラノからNYへ向かうが、ドリフトウッドのトランクの中から売れない歌手やそのマネージャーフィオレッロ(チコ・マルクス)、クビになったラスパリの付き人トマッソ(ハーポ・マルクス)ら3人の密航者が出てきた……!

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 本作も例によって日本封切りの昭和11年(1936年)4月に先立つ、輸入試写段階でのキネマ旬報の「近着外国映画紹介」で採り上げられています。キネマ旬報誌掲載の解説・あらすじは以下の通りです。
[ 解説 ]「御冗談でしョ」「我輩はカモである」のマルクス4兄弟からゼッポを抜いて、グラウチョ、チコ、ハーポの3兄弟が主演する映画で「支那海」の脚色に当たったジェームズ・ケヴィン・マッギスが書き卸し、「ココナッツ」の原作者ジョージ・S・カウフマンと同じく脚色者モリー・リスキンドが協力脚色し、「逆間諜」「かたみの傑作」のサム・ウッドが監督に当たり、「昨日」のメリット・B・ガースタッドが撮影した。助演者は「わが胸は高鳴る」のキティ・カーライル、新人の歌い手アラン・ジョーンズ、「麗はしの巴里」のウォルター・キング、「我輩はカモである」のマーガレット・デュモン、「結婚の夜」のシグ・ルーマン等である。
[ あらすじ ] ミラノに旅行中の金満家の未亡人クレイプール夫人(マーガレット・デュモン)の支配人オーティス・B・ドリフトウッド(グルーチョ・マルクス)は兼ねてから夫人との結婚を望んでいる。彼は夫人を社交界に紹介する約束をし先ずその手始めにニューヨークオペラ劇場の重役ゴットリープ(シグ・ルーマン)に対面させた。ゴットリープは夫人を説いて劇場に20万弗の出資をさせ、また世界一のテナーと言われるロドルフォ・ラスパリ(ウォルター・キング)と契約を結んだ。劇場の下回り歌手リカルド・バロニ(アラン・ジョーンズ)は非常に良い素質を持っているが、機会に恵まれないので認められていなかった。この2人はソプラノのローザ(キティー・カーライル)を共に愛している。ローザはリカルドに恋して彼の成功を祈っていた。ラスパリの衣装方トマソ(ハーポ・マルクス)は自分の主人を嫌ってローザとリカルドに親しくしている。リカルドと一緒に音楽を勉強しているフィオレロ(チコ・マルクス)も彼を好いていた。ラスパリとローザはゴットリーブとの契約がなってニューヨーク行きの船に乗る。リカルド、フィオレロ、トマソの3人は秘かにオーティスのトランクに潜込んで上船した。同じ船に髭をはやした3人の有名なギリシャの飛行家が乗っていた。密航者3人はその船室に忍び入って飛行家の衣服をつけ付け髭をした。本物の飛行家が現れたので移民官が彼らを逮捕に向かったときには、3人は早くもオティスのホテルに隠れていた。ここでリカルドは偶然ローザの室に入って彼女に会い互いに再会を喜んだ。ラスパリがローザの室に来て求愛したのでリカルドは彼を殴り倒す。怒った彼はローザを役から除いてしまう。その時ゴットリープの勧めで夫人はオティスを解雇したので3人は協力して復習を決心した。初日が始まったとき3人はゴットリープを縛り上げ、オティスは彼の服を着て夫人と一緒に澄まして重役席に座った。フィオレロとトマソはオーケストラの中に入って音楽を目茶目茶にしたその時劇場は火を発している事が発見され、臆病なラスパリは命欲しさに演技を中止して逃げだしたので観客は総立ちになって大混乱に陥ったが、フィオレロ、トマソ、オティスの懸命の努力と、リカルドとローザが舞台で悠々と歌い続けたので、観客は平静に帰して無事に退場する事が出来たのである。
 ――以上が本作がピカピカの新作だった時のキネマ旬報誌での紹介ですが、パラマウントからMGMに移籍、1年のブランクがあっただけにこれはマルクス兄弟をMGMに招聘したMGMの総合プロデューサーのアーヴィング・サルバーグ(1899-1936)にとっても勝負作で、サルバーグはマルクス兄弟の次作『マルクス一番乗り』'37の製作中に早逝しますが、『オペラは踊る』と『マルクス一番乗り』はともにセシル・B・デミル門下生のヴェテランのヒットメーカー、サム・ウッド(1883-1949)が監督に起用されました。ウッドは後の『チップス先生さようなら』'39、『恋愛手帖』'40、『打撃王』'42、『誰が為に鐘は鳴る』'43でますます知られるようになりますが、ウッドにとってもキャリアの飛躍になったのは監督した2作のマルクス兄弟映画の大ヒットからでした。ウッドは戦後のアメリカ映画界の「赤狩り」の風潮に師であるデミルとともに先鋒に立って右翼的な言動を表明し、有色人種と少数民族系移民への偏見を隠さなかったことからグルーチョはウッドをファシストと批判するようになりました。先に上げた大ヒットした代表作はいずれもいかにもアメリカ人大衆の心をつかむツボを突いており、ウッド自身が純真にそうしたアメリカ的理想主義を信じているのが感じられる良さがある映画ですが、それを推し進めると非常に偏狭なタカ派的な態度になる実例がデミルだったり、ウッドだったりしたのが興味深いところです。マルクス兄弟の映画でアメリ国立図書館の国立フィルム登録簿(1989年より施行)で文化財指定されているのは2作あり、パラマウント時代最終作の『吾輩はカモである』'33とMGM移籍初作品の本作がそうで、『~カモ』は第2回の'90年度に登録、『オペラ~』は第5回の'93年に登録されています。チャップリンキートンはもっと多く、ロイドも現在まだ『要心無用』'23と『ロイドの人気者』'25の2作きりながらチャップリン、ロイド、キートンはもっと追加されていくと思われますが、マルクス兄弟映画の場合は『~カモ』がパラマウント時代の代表作、『オペラ~』がMGM時代の代表作でまず動かず、この2作でマルクス兄弟の最高の芸はほぼ尽きていて、早い話『カモ』と『オペラ』だけ観れば他のマルクス兄弟映画はこの2作の二番煎じ、三番煎じでしかないとも言えます。パラマウント時代については実は全5作とも『カモ』のみならず取り柄があり、ただし映画としての完成度は無茶苦茶なので文化財指定されるような名作リストには上がりようがないでしょう。MGM時代は『マルクス一番乗り』がいきなり『オペラは踊る』の二番煎じで、後は作品ごとに設定だけでも趣向を凝らし、『マルクスの二挺拳銃』のように西部劇仕立ての蒸気機関車ギャグで点を稼いでいるもののマルクス兄弟らしさではなく、『マルクス兄弟珍サーカス』『マルクス兄弟デパート騒動』などはサーカスやデパートをギャグの仕掛けにして新味を狙っただけに終わっている。チーム解散記念作品『マルクス捕物帖』はユルい『カサブランカ』のパロディですがマルクス兄弟映画もこれで終わりという引退興行的な味でMGM時代後半よりはましな作品になっています。敏腕プロデューサー、サルバーグの采配によって『オペラ』と『一番乗り』の2作はマルクス兄弟のポピュラーな面での良い所取りのような作りになっていて、パラマウント時代を思わせる破壊的なギャグもあれば、表向きの主人公カップルのロマンスに貢献するために悪役を懲らしめ主人公を成功させるという勧善懲悪劇の献身的正義漢の役割にもなっている。つまりプロット・設定はダルタニアンと三銃士そのもので、一応パラマウント時代の『ココナッツ』~『御冗談でショ』の4作にもマルクス兄弟の出鱈目な活躍が結果的には窮地にあったドラマ上での主役カップルを助けるという申し訳程度のプロットがありました。ただしパラマウント時代の作品ではそうしたプロットはマルクス兄弟のギャグを盛りこむ器でしかなかったのに対して、MGMではダルタニアンと三銃士を踏襲したドラマのプロットを重視しており、結果的にドラマをぶち壊すように炸裂するマルクス兄弟のギャグの頻度が著しく減少し、ギャグが中心のパートとドラマに徹したパート、歌と踊りと音楽のミュージカル・コメディのパートを別々に整理して平行進行するような作りになった、と言えます。つまり批評的・興行的に大失敗した、ギャグとドラマと歌と踊りが無茶苦茶に入り混じって散乱した『吾輩はカモである』とは正反対の発想で作られた『オペラは踊る』はそれによってパラマウント時代のマルクス兄弟映画よりも広く受け入れられた、批評の面でも興行的にも大ヒット作になったので、次作『マルクス一番乗り』が『オペラは踊る』の競馬版というまったくの二番煎じ映画になったのは新生マルクス兄弟映画のパターンが1作きりにとどまらない、応用の利くものと見なされたということで、この2作は同じようなものですから感想文も『マルクス一番乗り』に続けることにします。

●7月27日(金)
マルクス一番乗り』A Day at the Races (監督サム・ウッド、MGM'37)*109min, B/W; 本国公開1937年6月11日

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) マルクス兄弟MGM時代の第2作目にしてマルクス映画のうち最もヒットした傑作!兄弟達のデタラメな笑いに加え、黒人たちの陽気な大合唱など、音楽的な見せ場も盛りだくさん!ジュディ(モーリン・オサリバン)が経営する診療所は財政難で経営に行き詰まり、破産を免れるためには近くの競馬場オーナーに買収されて診療所を競馬場に改造される事を受け入れる他なかった。そこで、数少ない入院患者の富豪夫人アプジョン(マーガレット・デュモント)に援助を求めようとするが、アプジョンはもう退院するところであった。そこでジュディの運転手トーニ(チコ・マルクス)はアプジョンの入院を長引かせる為、彼女に思いを寄せる獣医ハッケンブッシュ(グルーチョ・マルクス)に応援を求める。更にに競馬場をクビになった騎手スタフィ(ハーポ・マルクス)も協力するのだが、果たして診療所を救うことが出来るのか……!

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 戦前の日本公開は確実で、キネマ旬報の「近着外国映画紹介」にも輸入試写段階の記事がありながら、本作は封切り年月日不詳になっていますが、同じMGMの初マルクス兄弟映画『オペラは踊る』が本国公開から約半年で日本劇場公開されているので、おそらく昭和13年('38年)の正月映画として'37年12月か'38年1月には公開されていたと思われます(大東亜戦争下の日本で外国映画の輸入公開規制が始まるのは'39年度からで、次作以降のマルクス兄弟映画は規制対象になり戦後公開になります)。キネマ旬報の紹介は以下の通りです。
[ 解説 ]「オペラは踊る」と同じくサム・ウッドが監督したマルクス3兄弟主演映画で、助演も同じくアラン・ジョーンズ、マーガレット・デュモン、シグ・ルーマンの面々に「ターザンの逆襲」のモリーン・オサリバン、「オペラ・ハット」のダグラス・ダンブリル、エスター・ミューア等である。脚本はロバート・ピロッシュジョージ・シートンが共作のストーリーをさらにジョージ・オッペンハイマーと協力して書いた。撮影は「地獄への挑戦」のジョセフ・ルッテンバーグ担当。
[ あらすじ ] 競馬場の近くにある療養所の経営者は若い娘ジュディ(モーリン・オサリヴァン)である。彼はこの病院の経営が困難となっている上に、恋人ギル(アラン・ジョーンズ)は声楽修業のために貯えた金を競馬に使ってしまうので二進も三進もいかなくなっていた。このままでは病院も近いうちに人手に渡らねばならぬ。するとわずかばかりの入院患者の中にアプジョウン(マーガレット・デュモン)という金持ちの未亡人がいて、医者は退院してもいいというに拘らず、本人は病気と信じて疑わず、名医ハッケンブッシュ博士(グルーチョ・マルクス)の診察を受けると称して譲らない。そこでジュディは病院の運転手トニイ(チコ・マルクス)と相談して博士を呼ぶことになったが、現れたハッケンブッシュなる者は実は田舎で馬の医者をしている男だった。アプジョウン夫人は博士の診察が気に入ったら病院の資本を出してやるというのである。競馬に熱中しているギルは名馬「ハイ・ハット」を買い、優勝した金をジュディに渡そうと思っているが、飼育料が払えないのでモーガン(ダグラス・ダンブリル)に馬を押さえられていた。モーガンは病院の債権者で、それを乗っ取ろうと狙っている男だったが、彼の雇い騎手スタフィ(ハーポ・マルクス)はクビになったので、ギルと協力して「ハイ・ハット号」に乗ることになった。モーガンはハッケンブッシュ博士が夫人の信任を得ては病院乗っ取りが失敗するので、医師会に通知して彼の資格検査を申請する。競馬は近づいてきたが、「ハイ・ハット号」は飼料が不足で元気がない。そこでギルはお祭りの余興に出演して歌を歌い、トニイはハッケンブッシュ博士に怪しげな競馬の本を売りつけてその金を飼料費にあてていた。モーガンは妖婦フロ(エスター・ミューア)を博士に押しつけて二人の甘い仲をアプジョウン夫人に見せつけて夫人を怒らせ病院への出資を思い切らせようとする。この企てはトニイとスタフィの健闘によって幸い失敗に終わらせたが、博士はついに馬の医者であることがわかって病院にはいられなくなる。そこでトニイ、スタフィ、博士、ギルの4人は「ハイ・ハット」の厩舎に隠れて競馬の日を待った。その日になるといろいろの騒動の末、ついに奇策を労してスタフィはハイ・ハット号を優勝せしめ、すべてはめでたく解決した。
 ――以上のあらすじの通り、本作は『オペラは踊る』の競馬版で、ギャグが中心のパート、ドラマに徹したパート、歌と踊りと音楽のミュージカル・コメディのパートが同時進行していく整理された作りなのも同じです。本作は当時のデューク・エリントン楽団の歌姫、アイヴィ・アンダーソンが後にスタンダード(バド・パウエル版など)になった名曲「神の子らは皆踊る(All God's Chillun Got Rhythm)」を歌う黒人キャストによる一大ミュージカル・シーンもあり、映画の価値をいっそう高めています。黒人嫌い、ユダヤ人嫌いだった監督サム・ウッドユダヤ系コメディアンの極めつけであるマルクス兄弟の、さらに黒人ミュージカル・シーンもある映画をきちんと撮っているのが皮肉と言えば皮肉ですが、マルクス兄弟映画の面白さは普通にミュージカル・ロマンス・コメディ映画(舞台劇)になる設定・プロット・ストーリーをミュージカル場面、プロット設定ストーリー問わず次々とギャグで破壊していくアナーキーな奔放さにありました。それがわかっていたからノーマン・N・マクロードは『いんちき商売』『御冗談でショ』で手こずり、レオ・マッケリーは究極のマルクス兄弟映画、ギャグ以外のシーンは一切ない(チコのピアノ、ハーポのハープ演奏シーンすらない)『吾輩はカモである』で当時の批評家・観客の理解を絶する作品を実現してパラマウントに大損害を与え、しかし『吾輩はカモである』こそ施行2年目に真っ先にアメリカ国立フィルム登録簿に文化財登録されたマルクス兄弟映画になったのです。『オペラは踊る』では初めてメジャー映画らしいドラマ性を骨格としたマルクス兄弟映画になり、パラマウントから契約を打ち切られてMGMに移籍した、ゼッポも映画俳優としての前途を諦めて辞めた残り3人のマルクス兄弟にとっては勝負作でしたし、またマルクス兄弟を招聘したMGMのプロデューサーのアーヴィング・サルバーグにとっても『オペラは踊る』は大きな賭けでした。手堅いサム・ウッドの演出は堅実でもあれば大味でもあり、『オペラ~』の船室の一室にぎっしり人が詰まってしまう場面など構図や演出に不足感があり、忘れがたい場面ですがマッケリーやマクロードならもっとすごかっただろうと思ってしまいます。またギャグのシーンとドラマのシーン、ミュージカルのシーンを律儀に分けているのは、コメディ映画のセンスはあまり鋭くなかったウッドの場合、『オペラは踊る』と『マルクス一番乗り』の時期に気合の入っていたマルクス兄弟がギャグ場面ではウッドの演出を超える働きがあり、ミュージカル場面もおそらくミュージカル場面担当者に任せていると思われ、本来なら分業化が望ましくないマルクス兄弟映画ながら、統括者であるプロデューサーのサルバーグと監督のウッドが分業化を進めた一方で、マルクス兄弟のこの2作では監督のウッドの統括力も稀薄だったと思われるために(そのせいか、本作はマルクス兄弟映画最長の作品です)パラマウント時代とは異なる方向性ながら思わぬ混沌としたパワーがあふれる映画になったのが、MGMのマルクス兄弟映画の中で『オペラ』と『一番乗り』の2作が名作で、かつ大衆性も備えた明快さによってマルクス兄弟映画第1、2位のヒット作になったのも了解できます。サルバーグが亡くなってマルクス兄弟は'38年にRKOで既成のヒット舞台劇の映画化『Room Service』にワンポイント出演しますが、この頃すでにグルーチョはチーム解散を考えていたと言います。しかし経済的事情から兄弟は再びMGMと契約を延長し、3作に出演します。製作時期から次作以降は日本では太平洋戦争敗戦後の公開になりましたが、これらはマルクス兄弟が出演していることだけが取り柄であるような、作られたことだけに意義があるような映画と思って観る必要があります。

●7月28日(土)
マルクス兄弟珍サーカス』At the Circus (監督エドワード・バゼル、MGM'39)*87min, B/W; 本国公開1939年10月20日

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) マルクス兄弟、今度はサーカスで綱渡り!パターンが同じでもマルクスなら面白い!しかもハーポが声を発する!? ジェフ(ケニー・ベイカー)がオーナーを務めるサーカス団は、負債を清算しなければ悪党に乗っ取られそうになっていた。そこでジェフは友人のピレルリ(チコ・マルクス)といんちき弁護士のループホール(グルーチョ・マルクス)に応援を頼む。そこに悪党にクビになったパンチー(ハーポ・マルクス)が加わり、ジェフの叔母(マーガレット・デュモント)で富豪の未亡人のパーティーでサーカスを催し、金を稼ぐ事をもくろむ。そしてサーカスは始まったのだが、もちろん大混乱に……。

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 本作から後のマルクス兄弟映画は戦後の日本公開で、まず『マルクス捕物帖』'46が昭和23年('48年)10月5日に公開され、次は『マルクスの二挺拳銃』'40が昭和25年('50年)8月5日公開で、本作『マルクス兄弟珍サーカス』'39と『マルクス兄弟デパート騒動』'41が昭和26年('51年)3月20日に2本立て公開されました。『マルクス捕物帖』は戦後作品の新作でもありGHQ検閲を通りやすく、MGMの3作もGHQ占領下の公開ですからおそらくまとめて輸入公開許可申請が通ったと思われますが、『二挺拳銃』が先に公開されて『珍サーカス』と『デパート騒動』が残り物のようにして2本立て公開されたのはそのまま作品の出来を表しています。本作もキネマ旬報での紹介を引いてみます。日本公開時にすでに12年前の旧作ですから、戦前の「近着外国映画紹介」に較べると実にあっさりしたものですが、マルクス兄弟映画の場合はこれで十分とも言えます。
[ 解説 ] サーカスを舞台にしたマルクス兄弟のコメディ・シリーズ第9作。製作はマーヴィン・ルロイ、脚本はアーヴィング・ブレッチャー、監督はエドワード・バゼル、撮影はレナード・S・スミス、音楽はハロルド・アーレン、フランツ・ワックスマン、編集はウィリアム・H・タヒューンが担当。出演はグルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、マーガレット・デュモン、イヴ・アーデンなど。
[ あらすじ ] ジェフ(ケニー・ベイカー)がオーナーを務めるサーカス団は、負債を清算しなければ悪党に乗っ取られそうになっていた。そこでジェフは、友人であるピレルリ(チコ・マルクス)と、弁護士のループホール(グルーチョ・マルクス)に相談する。そこへパンチー(ハーポ・マルクス)が加わって、ジェフの裕福な叔母(マーガレット・デュモン)が主催するパーティーでサーカスを開き金を稼ごうと計画する。しかしサーカスは大混乱に陥るのだった。
 ――本作もサーカス団のオーナー役のケニー・ベイカーとヒロインのイヴ・アーデンとのロマンスが、サーカス団を潰そうとする悪党の陰謀をマルクス兄弟がサーカスを盛り立ててめでたしめでたしになる、というシンプルなプロットで、『オペラは踊る』のオペラ、『マルクス一番乗り』の競馬をサーカスに置き換えただけのものです。『マルクスの二挺拳銃』では西部劇になり、『マルクス兄弟デパート騒動』ではデパートになるので、ロックバンドのクイーンが大ヒット・アルバム『オペラ座の夜(A Night at the Opera)』'75の次作に『華麗なるレース(A Day at the Races)』'76を出し、ジャケットも『A Night~』の方が白地に紋章、『A Day~』の方が黒地に紋章という捻った趣向でしたが、二番煎じまでなら洒落の利いた趣向で済むのでクイーンのマルクス兄弟ネタもその2作きりですが、本家マルクス兄弟は二番番煎じどころか五番煎じまでやったのがMGM時代の作品で、『一番乗り』の後にRKOで単発ヒット舞台劇映画に出て、もうマルクス兄弟は解散したかったとグルーチョが嘆いていたというのもわかります。MGMではどういう映画ばかりになるのか本人たちも予想がついていたので、長兄チコが借金返済に困っていたという事情だけで作られたのが『珍サーカス』からのMGMの3作でした。喜劇映画のコメディアンがサーカスを舞台にした作品を作るとろくな映画にならない、とよく言われますが、チャップリンの『サーカス』'28のような考え抜かれた大成功作もある一方、サーカスものの喜劇映画など即座にいくつも浮かんでこないのはやはり面白い映画になりにくいからでしょう。それを思えばマルクス兄弟のサーカスものなどという思い切りベタなアイディアを実行に移してしまったMGMは、もはやかつてキートンをいろいろ試してみたあげく契約打ち切りにしてしまったように、とりあえず目先の思いつきで作ってしまったのが本作からの3作いずれにも当てはまりそうです。マルクス兄弟の3人がサーカスの舞台に立つ羽目になる映画ならばそれだけでも一応観てみようという気になるではないか、ということでしょうが、(普段のキャラクターが)素のままでサーカスかもぐり酒場から抜け出してきたようないかれたマルクス兄弟の3人が、今さらサーカスに正面衝突してどうなるというものか。しかし、結果的には本作は開発初期のワイヤー・アクションまで使った、それなりに見所のある映画になっています。ワイヤー・アクションはMGM最終作『デパート騒動』でも使われていますが、『デパート騒動』はマルクス兄弟映画でもどん底の作品で、アクションの過多がかえって白々しく興ざめするような仕上がりでした。サーカスというとどうしてもハーポが引っ張るシーンが増えるので、設定やプロットが二番煎じだろうがストーリーが詰まらなかろうが、グルーチョとチコが生彩を放つ場面を欠いて持て余し気味であろうと、もともと映画をぶち壊しにかかるのはハーポの本領で、しかもサーカスという口実でハーポがぶち壊すことができる、あらゆる仕掛けは揃っています。実年齢では50歳を越えるハーポはスタントなしで宙吊りまでやってのけ(これはさすがに引退後の自伝で「無謀だった」と苦笑していますが)、パントマイム芸に始まりパントマイム芸以外は一切しなかったハーポの意地が他に見所など無きに等しい本作で唯一の救いになっていて、本当にハーポだけでも光輝いていて、一応グルーチョとチコが、グルーチョはいつも通りすぐにでも帰ってしまいたい素振りで、チコは相変わらずお調子者とそれなりに存在感を示していれば('49年の『Love Happy』は純然たる単発のハーポ主演映画で、グルーチョとチコはゲスト出演だけですが)、チームとしてのマルクス兄弟映画らしさで本作もまだまだ観応えがあるものです。