人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(19); 八木重吉遺稿詩集『貧しき信徒』昭和3年刊(v)詩集『貧しき信徒』/ 第1詩集『秋の瞳』再読

[ 八木重吉(1898-1927)大正13年1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳 ]

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八木重吉詩集『秋の瞳』
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊

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八木重吉詩集『貧しき信徒』
昭和3年(1928年)2月20日・野菊社刊

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 この八木重吉の第2詩集『貧しき信徒』の前に、第1詩集『秋の瞳』をご紹介して読んでいった際に、同詩集の内容をおよそ3種に分けてみて、収録詩編全117編は、

●(a)生活詩・心境詩(詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まるもの)……40編
●(b)箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩ら詩としては断章的で、警句や意見表明の次元で成立するもの)……41編
●(c)純粋詩(一編の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせるもの)……36編

 ――とほぼ当分な配置が見られることに注目してきました。『秋の瞳』で見られる八木重吉の詩は現代詩の一般的な形式からすれば極端に短く、詩の書き出しのような数行、もっと長い詩からの抜粋であるような数行を1編の詩として提示していることに特異性がありました。後に習作時代の草稿が発表後され、八木は必ずしも最初から短詩のみを指向していたのではなく、数行数連から成るごく一般的な抒情詩形式や、数十行~百行以上に及ぶ長詩も作詩を始めた初期には少なくないことが判明しました。しかし八木が後に公刊する第1詩集『秋の瞳』に収録される詩編を小詩集の形でまとめ始めた大正13年には、大正10年から始まる詩作のうちそれら一般的な抒情詩、長詩形式の詩は採られなかったので、一見思いつきのように断片的な短詩が並ぶ詩集『秋の瞳』は大正14年春までの完成までに5年あまりの熟成期間があったのです。また八木は詩集『秋の瞳』刊行以後は注目されて同人詩誌の同人・寄稿者になりましたが、それまでは同人誌参加・寄稿はおろか詩作の友人も持たず、中学校の英語教師だったため英文学は高等師範学校で学びましたが、キリスト教徒としては内村鑑三の著作に学んだ無教会派クリスチャンだったため、礼拝に通って聖書を学ぶことはありませんでした。詩集『秋の瞳』は独学者による完全な未発表詩集として刊行されたのです。そこに、『秋の瞳』完成後に創作され詩誌・雑誌発表された129編の中から90編を選び、未発表の13編を加えて編集された第2詩集『貧しき信徒』との成立上の違いがあります。その違いは詩質の上にも及んでいると言ってよく、本質的にモノローグの詩集と見なすことができる『秋の瞳』と異なり、『貧しき信徒』の詩はまず読者の目に触れることを意識して膨大な手稿の中から選ばれている様子がある。詩集全体として『貧しき信徒』の詩は『秋の瞳』よりもさらに短詩傾向が進みましたが、『秋の瞳』で1行~4行で謎のように放り出されていた短詩が、『貧しき信徒』では読者の解釈を待ち受けて完結するような対話的性格を備えるようになっている、と言うことです。そして個々の詩編でも詩集全体でも『貧しきに』の対話的性格は一貫しており、成功しているので、『秋の瞳』ではおよそ独立した詩編としては成り立たないような生活詩・心境詩、箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)と見かけの上では似ていても、『貧しき信徒』の収録詩編は1編1編が明確な詩想を伝えるものになっています。

 詩集『秋の瞳』の衝撃性は、そうした、詩としては不備でわけのわからない断章的性格にありました。しかし詩集『秋の瞳』は純粋詩とほほ同等に編数を占める生活心境詩・箴言詩が詩集中に混在しているので、一見するとこうした詩集中での住み分けがまったく方法意識を感じさせず行われているために、『全詩集大成・現代日本詩人全集』第12巻(昭和29年、創元社刊)の伊藤信吉(1906-2002)による解説では八木の詩の精神的な美しさを認めた上で、

「重吉の作品には、近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない。どの作品の構成も単純で、現代詩の複雑な意識からはとおく距たっている。したがってこのような詩には、興味をもたない人も少くないだろう。私もこの詩人は現代詩の古典的面に属するとおもうが、だからといって私には、これを全面的に否定することはできない」
(伊藤信吉「解説」)

 ――と結んでいますが、こうした伊藤信吉の見方を生むのもそうした八木の詩集の見かけに原因があると思われます。『秋の瞳』の箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)に分類されるものから今一度抜いてみましょう。


 えんぜるになりたい
 花になりたい
  (「花になりたい」全行)


 無造作な くも、
 あのくものあたりへ 死にたい
  (「無造作な 雲」全行)


 このかなしみを
 ひとつに 統(す)ぶる 力(ちから)はないか
  (「かなしみ」全行)


 死 と 珠 と
 また おもふべき 今日が きた
  (「死と珠(たま)」全行)


 わたしは
 玉に ならうかしら

 わたしには
 何(なん)にも 玉にすることはできまいゆえ
  (「玉(たま)」全行)


 ぐさり! と
 やつて みたし

 人を ころさば
 こころよからん
  (「人を 殺さば」全行)


 この しのだけ
 ほそく のびた

 なぜ ほそい
 ほそいから わたしのむねが 痛い
  (「しのだけ」全行)


 すずめが とぶ
 いちじるしい あやうさ

 はれわたりたる
 この あさの あやうさ
  (「朝の あやうさ」全行)


 あき空を はとが とぶ、
 それでよい
 それで いいのだ
  (「鳩が飛ぶ」全行)


 わたしの まちがひだつた
 わたしのまちがひだつた
 こうして 草にすわれば それがわかる
  (「草に すわる」全行)


 くらげ くらげ
 くものかかつた 思ひきつた よるの月
  (「夜の 空の くらげ」全行)


 巨人が 生まれたならば
 人間を みいんな 植物にしてしまうにちがいない
  (「人間」全行)


 うつくしい 秋のゆふぐれ
 恋人の 白い 横顔(プロフアイル)―「キーツ」の 幻(まぼろし)
  (「「キーツ」に 寄す」全行)


 花が 咲いた
 秋の日の
 こころのなかに 花がさいた
  (「秋の日の こころ」全行)


 赤い 松の幹は 感傷
  (「感傷」全行)


 春も おそく
 どこともないが
 大空に 水が わくのか

 水が ながれるのか
 なんとはなく
 まともにはみられぬ こころだ

 大空に わくのは
 おもたい水なのか
  (「春も 晩く」全行)


 かへるべきである ともおもわれる
  (「おもひ」全行)


 このひごろ
 あまりには
 ひとを 憎まず
 すきとほりゆく
 郷愁
 ひえびえと ながる
  (「郷愁」全行)


 ひとつの
 ながれ
 あるごとし、
 いづくにか 空にかかりてか
 る、る、と
 ながるらしき
  (「ひとつの ながれ」全行)


 宇宙の良心―耶蘇
  (「宇宙の 良心」全行)


 彫(きざ)まれたる
 空よ
 光よ
  (「空 と 光」)


 ――また、『秋の瞳』収録詩編のうち生活詩・心境詩に分類できる詩編も『貧しき信徒』の大半を占める生活詩・心境詩とは異なる、モノローグ的性格が強いものです。それは直接かつて持ったことのない未知の読者に向けられた「序」についても言えることでしょう。


  私は、友が無くては、耐へられぬので
 す。しかし、私には、ありません。この
 貧しい詩を、これを、読んでくださる方
 の胸へ捧げます。そして、私を、あなた
 の友にしてください。
  (「序」全行)


 はつあきの よるを つらぬく
 かなしみの 火矢こそするどく
 わづかに 銀色にひらめいてつんざいてゆく
 それにいくらのせようと あせつたとて
 この わたしのおもたいこころだもの
 ああ どうして
 そんな うれしいことが できるだらうか
  (「哀しみの 火矢(ひや)」全行)


 あかるい 日だ 
 窓のそとをみよ たかいところで
 植木屋が ひねもすはたらく

 あつい 日だ
 用もないのに
 わたしのこころで
 朝から 刈りつづけてゐるのは いつたいたれだ
  (「植木屋」全行)


 ふるさとの山のなかに うづくまつたとき
 さやかにも 私の悔いは もえました
 あまりにうつくしい それの ほのほに
 しばし わたしは
 こしかたの あやまちを 讃むるようなきもちになつた
  (「ふるさとの 山」全行)


 いち群のぶよが 舞ふ 秋の落日
 (ああ わたしも いけないんだ
 他人も いけないんだ)
 まやまやまやと ぶよが くるめく
 (吐息ばかりして くらすわたしなら
 死んぢまつたほうが いいのかしら)
  (「一群の ぶよ」全行)


 すとうぶを みつめてあれば
 すとうぶをたたき切つてみたくなる

 ぐわらぐわらとたぎる
 この すとうぶの 怪! 寂!
  (「悩ましき 外景」全行)


 ふるへるのか
 そんなに 白つぽく、さ

 これは
「つばね」の ほうけた 穂

 ほうけた 穂なのかい
 わたしぢや なかつたのか、え
  (「「つばね」の 穂」全行)


 ふがいなさに ふがいなさに
 大木をたたくのだ、
 なんにも わかりやしない ああ
 このわたしの いやに安物のぎやまんみたいな
『真理よ 出てこいよ
 出てきてくれよ』
 わたしは 木を たたくのだ
 わたしは さびしいなあ
  (「大木(たいぼく) を たたく」全行)


 くらい よる、
 ひとりで 稲妻をみた
 そして いそいで ペンをとつた
 わたしのうちにも
 いなづまに似た ひらめきがあるとおもつたので、
 しかし だめでした
 わたしは たまらなく
 歯をくひしばつて つつぷしてしまつた
  (「稲妻」全行)


 山のうへには
 はたけが あつたつけ

 はたけのすみに うづくまつてみた
 あの 空の 近かつたこと
 おそろしかつたこと
  (「追憶」全行)


 実(み)!
 ひとつぶの あさがほの 実
 さぶしいだらうな、実よ

 あ おまへは わたしぢやなかつたのかえ
  (「草の 実」全行)


 止まつた 懐中時計(ウオツチ)、
 ほそい 三つの 針、
 白い 夜だのに
 丸いかほの おまへの うつろ、
 うごけ うごけ
 うごかぬ おまへがこわい
  (「止まつた ウオツチ」全行)


 この虹をみる わたしと ちさい妻、
 やすやすと この虹を讃めうる
 わたしら二人 けふのさひわひのおほいさ
  (「虹」全行)


 れいめいは さんざめいて ながれてゆく
 やなぎのえだが さらりさらりと なびくとき
 あれほどおもたい わたしの こころでさへ
 なんとはなしに さらさらとながされてゆく
  (「黎明」全行)


 白い 路
 まつすぐな 杉
 わたしが のぼる、
 いつまでも のぼりたいなあ
  (「白い 路」全行)


 せつに せつに
 ねがへども けふ水を みえねば
 なぐさまぬ こころおどりて
 はるのそらに
 しづかなる ながれを かんずる
  (「しづかなる ながれ」全行)


 これは ちいさい ふくろ
 ねんねこ おんぶのとき
 せなかに たらす 赤いふくろ
 まつしろな 絹のひもがついてゐます
 けさは
 しなやかな 秋
 ごらんなさい
 机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある
  (「ちいさい ふくろ」全行)


 かの日の 怒り
 ひとりの いきもののごとくあゆみきたる
 ひかりある
 くろき 珠のごとく うしろよりせまつてくる
  (「怒り」全行)


 ――さらに、『秋の瞳』中で詩として自律性を備えた、純粋詩に数えられる詩編にも同質の不可解さがあります。しかもこれらは不可解でありながらも見事な詩的達成を示しており、成功した詩編における八木重吉の語感の柔軟さ・精妙さは、とてもほとんど100年近く昔の、1921年~25年に書かれた作品とは思えない新鮮な感覚を伝えてあまりあります。


 息を ころせ
 いきを ころせ
 あかんぼが 空を みる
 ああ 空を みる
  (「息を 殺せ」全行)


 白い 枝
 ほそく 痛い 枝
 わたしのこころに
 白い えだ
  (「白い枝」全行)


 鉛(なまり)のなかを
 ちようちよが とんでゆく
  (「鉛と ちようちよ」全行)


 ことさら
 かつぜんとして 秋がゆふぐれをひろげるころ
 たましいは 街を ひたはしりにはしりぬいて
 西へ 西へと うちひびいてゆく
  (「ひびく たましい」全行)


 そらを 指す
 木は かなし
 そが ほそき
 こずゑの 傷いたさ
  (「空を 指(さ)す 梢(こずゑ)」全行)


 赤んぼが わらふ
 あかんぼが わらふ
 わたしだつて わらふ
 あかんぼが わらふ
  (「赤ん坊が わらふ」全行)


 こころよ
 では いつておいで

 しかし
 また もどつておいでね

 やつぱり
 ここが いいのだに

 こころよ
 では 行つておいで
  (「心 よ」全行)


 はじめに ひかりがありました
 ひかりは 哀しかつたのです

 ひかりは
 ありと あらゆるものを
 つらぬいて ながれました
 あらゆるものに 息を あたへました
 にんげんのこころも
 ひかりのなかに うまれました
 いつまでも いつまでも
 かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
  (「貫ぬく 光」全行)


 ほそい
 がらすが
 ぴいん と
 われました
  (「ほそい がらす」全行)


 くものある日
 くもは かなしい
 くもの ない日
 そらは さびしい
  (「雲」全行)


 ある日の こころ
 山となり

 ある日の こころ
 空となり

 ある日の こころ
 わたしと なりて さぶし
  (「在る日の こころ」全行)


 おさない日は
 水が もの云ふ日

 木が そだてば
 そだつひびきが きこゆる日
  (「幼い日」全行)


 霧が ふる
 きりが ふる
 あさが しづもる
 きりがふる
  (「霧が ふる」全行)


 空が 凝視(み)てゐる
 ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
 おそろしく むねおどるかなしい 瞳
 ひとみ! ひとみ!
 ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
 かぎりない ひとみのうなばら
 ああ、その つよさ
 まさびしさ さやけさ
  (「空が 凝視(み)てゐる」全行)


 ああ
 はるか
 よるの
 薔薇
  (「夜の薔薇(そうび)」全行)


 各(ひと)つの 木に
 各(ひと)つの 影
 木 は
 しづかな ほのほ
  (「静かな 焔」全行)


 しろい きのこ
 きいろい きのこ
 あめの日
 しづかな日
  (「あめの 日」全行)


 ちさい 童女
 ぬかるみばたで くびをまわす
 灰色の
 午后の 暗光
  (「暗光」全行)


 秋が くると いふのか
 なにものとも しれぬけれど
 すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
 わたしのこころが
 それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか
  (「秋」全行)


 おもたい
 沼ですよ
 しづかな
 かぜ ですよ
  (「沼と風」全行)


 まひる
 けむし を 土にうづめる
  (「毛蟲を うづめる」全行)


 春は かるく たたずむ
 さくらの みだれさく しづけさの あたりに
 十四の少女の
 ちさい おくれ毛の あたりに
 秋よりは ひくい はなやかな そら
 ああ けふにして 春のかなしさを あざやかにみる
  (「春」全行)


 やなぎも かるく
 春も かるく
 赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
 青い 山車には 青い児がついて
 柳もかるく
 はるもかるく
 けふの まつりは 花のようだ
  (「柳も かるく」全行)


 これらを伊藤信吉のように「重吉の作品には、近代的な意味での詩的意識や詩的方法というべきものがない。どの作品の構成も単純で、現代詩の複雑な意識からはとおく距たっている」と評するのは、詩集『貧しき信徒』が与える一面の印象にあると思われるのです。伊藤信吉が編・解説を担当した『現代詩人全集』第5巻(角川文庫・昭和35年10月刊)は「歴程」派詩人15人を収め、八木重吉は『秋の瞳』から9編、『貧しき信徒』から17編、遺稿から26編が選ばれていますが、『貧しき信徒』から選出された17編は以下の通りです。この伊藤信吉選の『貧しき信徒』からの抄出詩編を読む限り、詩集『秋の瞳』の謎めいた詩人の面影はほとんど感じられないではありませんか。


   母の瞳

 ゆふぐれ
 瞳をひらけば
 ふるさとの母うへもまた
 とおくみひとみをひらきたまひて
 かあゆきものよといひたまふここちするなり


   涙

 つまらないから
 あかるい陽(ひ)のなかにたつてなみだを
 ながしてゐた


   光

 ひかりとあそびたい
 わらつたり
 哭(な)いたり
 つきとばしあつたりしてあそびたい


   ひびいてゆかう

 おおぞらを
 びんびんと ひびいてゆかう


   悲しみ

 かなしみと
 わたしと
 足をからませて たどたどとゆく


   草をむしる

 草をむしれば
 あたりが かるくなつてくる
 わたしが
 草をむしつてゐるだけになつてくる


   虫

 虫が鳴いてる
 いま ないておかなければ
 もう駄目だというふうに鳴いてる
 しぜんと
 涙がさそわれる


   梅

 梅を見にきたらば
 まだ少ししか咲いてゐず
 こまかい枝がうすうす光つてゐた


   森

 日がひかりはじめたとき
 森のなかをみてゐたらば
 森の中に祭のやうに人をすひよせるものをかんじた


   ひかる人

 私をぬぐらせてしまひ
 そこのとこへひかるやうな人をたたせたい


   素朴な琴

 この明るさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美くしさに耐へかね
 琴はしづかに鳴りいだすだろう


   響(ひびき)

 秋はあかるくなりきつた
 この明るさの奥に
 しづかな響があるようにおもわれる


   故郷(ふるさと)

 心のくらい日に
 ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる


   ふるさとの川

 ふるさとの川よ
 ふるさとの川よ
 よい音をたててながれてゐるだらう


   ふるさとの山

 ふるさとの山をむねにうつし
 ゆうぐれをたのしむ


   夕焼

 いま日が落ちて
 赤い雲がちらばつてゐる
 桃子と往還(おうかん)のところでながいこと見てゐた


   冬の野

 死ぬことばかり考えているせいだらうか
 枯れた茅(かや)のかげに
 赤いやうなものを見たとおもつた


(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)