ファー・イースト・ファミリー・バンド Far East Family Band - 多元宇宙への旅 Parallel World (MU Land, 1976) Full Album : https://youtu.be/7s8flznczvI
Recorded at the Manor Studio, U.K, November 15th to December 5th 1975.
Released by 日本コロムビア/Mu Land LQ-7002-M, March 25, 1976
Music and Arranged by Far East Family Band
Lyrics by Fumio Miyashita, Linda Miyashita
Produced, Recorded , Mixed, Computer Mixed by Klaus Schulze
(Side 1)
A1. 再生 Metempsychosis - 4:50
A2. 生の拡張 Entering (7:57) ~時空間の洪水 Times (7:56) - 15:54
A3. 心 Kokoro - 9:10
(Side 2) 多元宇宙への旅 Parallel World - 30:09
B1. アマネスカンの夜明け Amanezcan - 2:24
B2. 蘇る起始点 Origin - 9:00
B3. 禅 Zen - 3:48
B4. 夢想の真理 Reality - 7:31
B5. 超光線 New Lights - 4:19
B6. 西暦2000年 In The Year 2000 - 3:09
[ Far East Family Band ]
宮下フミオ Fumio Miyashita - leader, lead vocals, electric guitar, acoustic guitar, flute, harmonica
深草彰 Akira Fukakusa - bass guitar
高崎しずお Shizuo Takasaki - drums, gong (宝来ドラ)
伊藤明 Akira Itoh - organ (Hammond), keyboards (Minimoog, Roland, Korg), Mellotron, synthesizer (Korg), electric piano
高橋正明 Masaaki Takahashi - organ (Hammond), keyboards (Minimoog, Roland, Korg), Mellotron, synthesizer (Korg), electric piano
福島ヒロヒト Hirohito Fukushima - electric guitar, slide guitar, electric sitar, Percussion (Echo), mini harp
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(Original MU Land "多元宇宙への旅 Parallel World" LP Liner Cover, Inner Poster Front/Liner Art & Side 1/2 Label)
クラウス・シュルツェの'76年6月の新作『ムーンドーン』プロモーション用自筆バイオグラフィでは、1975年には「More and more friends wrote, they want to play similar music, some of them sent tapes. One of those new groups, they called themselves "IRRLICHT", was supporting one of my french tours.」とシュルツェ影響下のグループから名乗りを上げられるようになったことに触れ、「Another group, "Far East Family Band" I met, in Hamburg. This great Japanese band was signing there a contact with Phonogrm. In August 1975 I went to Japan and produced their first LP [Nipponjin].」と1975年8月はファー・イースト・ファミリー・バンドの『Nipponjin』(実際にはファースト・アルバムではなく前身バンドのファーラウト時代のアルバム『日本人』'73と完成していた日本でのファースト・アルバム『地球空洞説』'75から選曲した国際発売向け再録音編集盤)を手がけたことを上げています。「After that, and after the release of my fifth album "Timewind", I moved to the country-side of Germany, away from Berlin.」そしてシュルツェは「Following a tour through Italy and Switzerland I produced the second LP of F.E.F.B. in England [Parallel World].」「During the recording of F.E.F.B. I met Stomu Yamashta, telling me of his new project, "Go". He was looking for a Synthesizer-player. Therefore from January until March 1976 I was togetherwith Stomu, Mike Shrieve, Al DiMeola, Rosco Gee and Steve Winwood in some English studios.」まだ20代とはいえシュルツェのヴァイタリティには恐れ入りますが、続けてシュルツェは『タイムウィンド』がフランスのディスク大賞を受賞したこと、5月にロイヤル・アルバート・ホールで「ゴー」プロジェクトのライヴ・コンサートを大成功させたことを上げ、ハラルド・グロスコフをドラマーに迎えた最新作『ムーンドーン』の完成で「We will see...」と'76年6月づけのバイオグラフィを終えます。乗っている青年アーティストというのは恐ろしいもので、シュルツェの勢いは'80年の第12作『...Live... 』まで続くのですからまさに「ミューズを味方につけた」かのような時代が、タンジェリン・ドリームでのデビュー作('70年)から参加アルバム15作、ソロ名義作12作の27作、LP枚数にして35枚あまり続くのです。
本作『多元宇宙への旅』は、イギリスのミュージシャン(元ティアドロップ・エクスプローズ)・批評家のジュリアン・コープが日本の'70年代いっぱいまでのロック史研究書『ジャップロック・サンプラー』2007(翻訳2008年)でコープ選の日本のロック・トップ50の4位に上げるもので、ちなみにコープ選の日本のロック・トップ15は1位フラワー・トラヴェリン・バンド『SATORI』'71、2位スピード・グルー&シンキ『イヴ 前夜』'71、3位裸のラリーズ『Heavier Than A Dead In The Family』'95、4位が本作、5位J・A・シーザー『国境巡礼歌』'73、6位LOVE LIVE LIFE + ONE『Love Will Make A Better You』'71、7位佐藤允彦とサウンドブレーカーズ『恍惚の昭和元禄』'71、8位芸能山城組『恐山』'76、9位小杉武久『キャッチ・ウェイブ』'75、10位J・A・シーザー『邪宗門』'72、11位ファーラウト『日本人』'73、12位裸のラリーズ『Blind Baby Has Its Mothers Eye』2003、13位東京キッドブラザース『書を捨て街へ出よう』'71、14位ファー・イースト・ファミリー・バンド『Nipponjin』'75、15位スピード・グルー&シンキ『スピード・グルー&シンキ』'72で、50位までにラスト・アルバムを除くフラワー・トラヴェリン・バンド、ファー・イースト・ファミリー・バンドは全作入っていますし、裸のラリーズは公式アルバムは'90年代に3作を'68年~'77年音源から限定発売しただけでしたので選ばれているアルバムも発掘音源の近年のアンソロジー・ブートレッグです(『Heavier Than~』は公式アルバム『Live '77』とほぼ同内容)。ジュリアン・コープは『ジャップロック・サンプラー』に先立って西ドイツのロック史研究書『クラウトロック・サンプラー』を刊行し、ジャーマン・ロックではなくクラウトロックというジャンルを定着させた人で、同書のクラウトロック・トップ50はアーティストのアルファベット順ですが、アモン・デュールとアモン・デュールII、アシュ・ラ・テンペル、カン、コズミック・ロッカーズ、クラスター、ファウスト、ノイ!、ポポル・ヴー、クラウス・シュルツェ、タンジェリン・ドリームの初期~全盛期のアルバムほぼ全作、というリストでした。コズミック・ロッカーズ・セッション作品については全アルバムです。コープはプログレッシヴ・ロックの観点ではなくフリーク・アウトしたサイケデリック・ロック視点で評価しているので、フラワー・トラヴェリン・バンドをブラック・サバス以上、レッド・ツェッペリン以上、キング・クリムゾン以上のプロト・メタル・バンドの理想型と見るので、コープのジャップロック・トップ50リストは日本人の演奏するクラウトロックの観があります。『Nipponjin』の国際リリースにもかかわらず『多元宇宙の旅』は21世紀の再評価まで日本発売のみにとどまり、しかも発売に当たってシュルツェとバンドによって2枚組LPを予定し80分に完成されたアルバムを1枚としては限界の60分に短縮せざるを得ませんでした。アルバムの発売時にはメンバーはリーダーの宮下の他ベースの深草、ドラムスに新メンバーの原田雄仁だけになり、ロサンゼルスに渡ったバンドはほとんど宮下独力で最終作『天空人』'77を完成・リリースしますが、30分強とAB面で『多元宇宙への旅』の半分のヴォリュームしかない同作は、シークエンサーをリズム・リフ楽器に使うなど今聴くと新しいアプローチも見えますが、ジェネシスのジャケット・アートを手がけてきたポール・ホワイトヘッドのジャケット・アートも注目を惹かず、自然消滅的にバンドは解散してしまいます。元メンバーの高橋正明は喜太郎名義でニューエイジ・ミュージック畑で成功し、ファー・イーストの旧作はテクノポップの流行に便乗して新装発売されましたがやはり注目されず、宮下富実夫は2004年の逝去までヒーリング・ミュージックのジャンルで多作な、しかし注目されないアーティストとしてキャリアを終えました。ファーラウトやファー・イースト時代の発掘音源でも出れば評価も変わる可能性があった人だけに、故人自身による音源発掘がなされるだけの再評価が生前に追いつかなかったのが惜しまれます。現行版に短縮前の2枚組LP用『多元宇宙への旅』のマスターテープなどが発見されないものでしょうか。