人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel - フレンドシップ Friendship (Manikin, 2000)

イメージ 1

アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel - フレンドシップ Friendship (Manikin, 2000) Full Album : Ash Ra Tempel: Friendship: http://www.youtube.com/playlist?list=PLs9vIZChB0tdAX8rlP0H0f5Kfb8KqeKbs
Recorded at Moldau-Musikstudio, 1998 to March 2000
Released by Manikin Records MRCD7048, July 2000
All Composed and Performed by Manuel Gottsching and Klaus Schulze
(Tracklist)
Tr1. Reunion - 30:40
Tr2. Pikant - 21:40
Tr3. Friendship - 26:30
[ Ash Ra Tempel ]
Manuel Gottsching - guitars, electronics
Klaus Schulze - electronics, percussion, mix, mastering

(Original Manikin "Friendship" CD Liner Cover, Booklet and CD Label)

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 この連載ではクラウス・シュルツェ(1947-)の、最新作『Silhouettes』2018までソロ名義の単発アルバム45作、未発表音源集を含めると106作、さらに参加アルバム40作あまりから20世紀内に発表された、膨大な未発表音源集を除いたアルバムをまずソロ名義作、次いで参加アルバムをご紹介しています。21世紀になってからのシュルツェは未発表音源集として発売した作品からソロ名義の単発アルバムとして発表し直したり、単発アルバムもシリーズとしての企画やコラボレーション作品と純粋な単発アルバムが混在しており、ますます混沌として全容がつかみ難くなっているので、一応上記の基準でソロ名義・参加アルバムとも20世紀内の単発アルバム発表アルバムに限定したのですが、2000年にシュルツェは50枚組未発表音源ボックスセット『The Ultimate Edition』を発表するとともに10枚組未発表音源ボックスセット『Contemporary Works』を発表し、さらに単発アルバム『Vanity of Sounds』『Ballet 1』『Ballet 2』を発表しましたが、『The Ultimate Edition』は'93年の10枚組未発表音源ボックスセット『Silver Edition』、'97年の25枚組未発表音源ボックスセット『Jubilee Edition』を合わせた増補改訂版でしたし、『Vanity of Sounds』『Ballet 1』『Ballet 2』は『The Ultimate Edition』以降の新未発表音源をまとめた『Contemporary Works』からの単発分売の変則単発アルバムでした。20世紀は正確には紀元2000年までを指し2001年が21世紀の第1年に当たりますが、『Vanity of Sounds』『Ballet 1』『Ballet 2』の3作は単発アルバムとは言っても未発表音源ボックスセット『Contemporary Works』からの分売作品として位置づけるべき作品と見なされ、さらに『Contemporary Works』からの分売作品と『Contemporary Works 2』2002が続きますが、シュルツェ自身も公式サイトのディスコグラフィーでソロ名義作は'97年の『ドスブログ・オンライン』の次は『Live@KlangArt』2001、次に『Moonlake』2005としているので上記作品は単発アルバムからは外します。しかし2000年発表作でも外せないのはアシュ・ラ・テンペルの一時的再結成アルバム『フレンドシップ』と『ジン・ローズ・アット・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール』で、ともにアシュ・ラ・テンペルの結成メンバーであるマニュエル・ゲッチングとのデュオ・アルバムです。自分より5歳年長のメンバー2人と組んだタンジェリン・ドリームの'70年のファースト・アルバムから1作きりで脱退したクラウス・シュルツェ(1947-)が次に組んだのが、5歳年少のマニュエル・ゲッチング(ギター、1952-)、ハルトムート・エンケ(ベース、1952-2005)とのトリオ、アシュ・ラ・テンペルでした。ドラマー時代のシュルツェはアシュ・ラ・テンペルからも'71年のファースト・アルバム1枚きりで脱退してソロ・アーティストになりますが、1972年末のタロット作家ヴァルター・ヴェグミュラーの『タロット』'73に始まるオール/コズミッシュ・レーベルのミュージシャンたちによる「コズミック・ジョーカーズ」セッション連作で顔を合わせたことから'72年末~'73年にシュルツェはバンドに復帰し、アルバム『ジョイン・イン』'73と後年マニュエル・ゲッチングの未発表音源集で発表されるドイツ、スイスでのライヴ・ツアーに参加します。次にゲッチングと共演したのはシュルツェ主導のリヒャルト・ヴァーンフリート名義の第2作『トーンヴェレ』'81で、アシュ・ラ・テンペルの理想的な'80年代版と言える名作になりました。'80年代後半にもゲッチングのアシュ・ラのライヴにシュルツェが参加したライヴ音源が残されていますが、スタジオ録音で再度ゲッチングがシュルツェのソロ名義作に参加したのが'95年の『イン・ブルー』で、2枚組CDに1曲だけとはいえLPのAB両面相当の45分の大曲でシュルツェとデュオ演奏をくり広げており、これも'90年代型の理想的アシュ・ラ・テンペルと言える快演でした。シュルツェとゲッチングは別々にリーダー活動をしているので共演は散発的になりますが、シュルツェに不足しがちなオーガニックな要素がゲッチングのギターにはたっぷりあり、またゲッチング自身のアシュ・ラでは散漫によるなりがちな面を構成力に富んだシュルツェはぴったりと押さえているので、ギターとキーボードのデュオ演奏でゲッチングとシュルツェほど相性が良くおたがいの長所を生かしきっている例はめったに見られるものではありません。
 ヘルトムート・エンケは『ジョイン・イン』と同作に続くツアーを最後にミュージシャンを引退し、アシュ・ラ在籍末期には健康を害し心身ともに重篤だった(発表されたライヴ音源では最後の力を振り絞ったエンケ最高の名演が聴けますが)ので、バンド脱退後には隠遁して永い療養生活を余儀なくされたようです。『フレンドシップ』でのゲッチングとシュルツェの共演があえて個人名の共作名義ではなくアシュ・ラ・テンペルの名義になったのは、'90年代に再評価が定着した往年のアシュ・ラ・テンペル作品の立役者であるゲッチングとシュルツェの共演再びというリクエストに応えたのもあり、スタジオ録音に続いてすぐイギリス公演(ジュリアン・コープの招聘による)のライヴ盤を作るという2作連続企画でした。ゲッチングとシュルツェのアシュ・ラ・テンペル再結成となるとエンケの不在がどうしても気になるので、エンケは参加できなくても共作ではなくアシュ・ラ・テンペルの再結成はエンケ参加時のバンドの再結成と言うことができ、実際エンケ脱退間もなくアシュ・ラ・テンペルはゲッチングのソロ・プロジェクトの別名としてのアシュ・ラに短縮改名しています。この一時的再結成はエンケへのエールであり、またエンケ抜きのアシュ・ラ・テンペルはシュルツェの音楽性、ゲッチングの音楽性が絶妙の相性を見せたものであってもエンケの爆発的な、ほとんどデュオニソス的なベースの不在をしのばせるような哀切なムードをたたえている。そこが2000年版アシュ・ラ・テンペル作品として本作を理想的な名作にしながらもやはり1971年~1973年のエンケ在籍時(当時19歳~21歳!)のアシュ・ラ・テンペルとの違いを痛切に感じさせる、エンケが亡くなるのは2005年なのですが、エンケへの生前葬のような響きを持った音楽になっています。『フレンドシップ』はもちろんゲッチングとシュルツェのフレンドシップなのですが、それが同時にエンケへのはなむけでもあるのがゲッチング、シュルツェともこれほどエモーショナルで悲哀をこめた演奏はないだろうと思えてくる内容に反映しています。最終曲「Friendship」のシュルツェのワーグナー譲りの無限転調のドローンにカルロス・サンタナでもここまではやるまいというほど20分以上に渡って泣きまくるゲッチングのギター、昔のように生ドラムスではなくサンプリングでしょうが後半から入ってくるドラムスもアシュ・ラ・テンペル時代から地続きのシュルツェのビート感覚があり、西暦2000年のジャーマン・エレクトロニクス・サイケデリック・ロックとして最高峰に位置するアルバムです。