人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・シーズ The Seeds - ア・ウェブ・オブ・サウンド A Web Of Sound (GNP Crescendo, 1966)

ザ・シーズ The Seeds - ア・ウェブ・オブ・サウンド A Web Of Sound (GNP Crescendo, 1966) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL0ltondLnZlHfMy9ft9_JZxNqbIJD4gYL

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Recorded at Columbia Studios, RCA Victor Studios Hollywood, California, July 5 to July 29, 1966
Released by GNP Crescendo Records GNPS 2033, October 1966 / US#No Chart
Produced by Marcus Tybalt (Sky Saxon, The Seeds)
Engendered by Dave Hassinger, Raphael Valentin
(Side One)
A1. ミスター・ファーマー Mr. Farmer (Sky Saxon) - 2:52 / US#86
A2. Pictures and Designs (Darryl Hooper, Sky Saxon) - 2:44
A3. Tripmaker (Darryl Hooper, Marcus Tybalt) - 2:48
A4. I Tell Myself (Marcus Tybalt) -
A5. A Faded Picture (Hooper, Saxon) - 5:20
A6. Rollin' Machine (Saxon, Tybalt) - 2:32
(Side Two)
B1. Just Let Go (Hooper, Jan Savage, Saxon) - 4:21
B2. アップ・イン・ハー・ルーム Up In Her Room (Sky Saxon) - 14:45
[ The Seeds ]
Sky Saxon - lead vocalist, bass guitar
Darryl Hooper - keyboards, organ, piano, backing vocals
Jan Savage - guitars, backing vocals
Rick Andridge - drums
with Additional Musician
Cooker (aka Sky Saxon) - slide guitar
Harvey Sharpe - bass guitar

(Original GNP Crescendo "A Web Of Sound" LP Liner Cover & Side One Label)

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 ザ・シーズのオリジナル・アルバムはスタジオ盤5作(スカイ・サクソン・ブルース・バンド名義含め)、うち擬似ライヴ盤が1作になりますが、最高傑作と名高いのはファースト・アルバムかセカンド・アルバムの本作で、特に本作は冒頭のシングル・ヒット曲「ミスター・ファーマー」と15分近いアルバム最終曲の大作「アップ・イン・ハー・ルーム」に挟まれた全8曲もファースト・アルバム全12曲より各曲に多彩な表情があり、オリジナル・アルバムでは最終作になったベスト選曲+新曲の擬似ライヴ盤『ロウ・アンド・アライヴ~イン・コンサート・アット・マーリンズ・ミュージック・ボックス』'69を例外とすればザ・シーズのアルバム中もっとも楽曲の粒のそろったアルバムです。ザ・シーズは解散後にアルバム未収録・未発表曲集のコンピレーション盤が2作あり、特に先に出た『Fallin' Off the Edge』'77はGNPクレッシェンドからのリリースだけあってオリジナル・アルバムに劣らない内容でした(もう1作『Bad Part of Town』'82はフランスのインディー・レーベルによる発掘編集盤で、ザ・シーズ結成以前の本名「リッチー・マーシュ」名義のスカイ・サクソンのソロ・シングルAB面と、GNPを離れてからの末期ザ・シーズのMGMレコーズからのシングルAB面、最後の自主制作シングルAB面と、サクソンのソロ・シングルと末期ザ・シーズのシングルを半々に収録した盤起こしLPで、内容・音質ともコレクターズ・アイテム的内容です)。
 全米アルバム・チャート132位に入ったデビュー・アルバムに対して本作はチャート入りせず、シングル「ミスター・ファーマー」もデビュー・アルバム収録曲「ノー・エスケープ」をB面に'66年秋に初発売した時はヒットせず、翌'67年2月に「アップ・イン・ハー・ルーム」をシングルB面用に3分41秒の短縮版に編集してカップリングし再発売した際に全米チャート86位まで上がりました。それこそビートルズビーチ・ボーイズボブ・ディランローリング・ストーンズ級の大物でもなければザ・ドアーズのようにスタジオ盤6作がすべて全米アルバム・チャートのトップ10入り・ゴールドディスク/プラチナディスク認定(50万枚・100万枚単位)のセールス的大成功を収めたバンドの方が少数なので、ザ・シーズのアルバムが再評価される'90年代以前の'70年代~'80年代にも廃盤を免れたのはGNPクレッシェンドという、ハリウッドのナイト・クラブ店主ジーン・ノーマン主宰の小インディー・レーベルの数少ない人気カタログだったからです。

 GNPは「ジーン・ノーマン・プレゼンツ」の略で、名前が紛らわしいですが戦後のジャズの大物プロモーター、ノーマン・グランツが「NGP(ノーマン・グランツ・プレゼンツ)」としてジャズマンのパッケージ・ツアーを行い、レコード・レーベルを設立して「ノーグラム」~「ヴァーヴ」と成功したのに倣ったもので、'50年代から自分のクラブに出演したジャズ・アーティストのレコードを散発的にリリースしながら'60年代にはザ・チャレンジャーズ、ビリー・ストレンジらサーフ・サウンド系ロック・インストルメンタルのアルバムを手がけていました。GNPクレッシェンド・レコーズにとってヴォーカル入りのロック・バンドとしてはザ・シーズは初めての本格的なアーティストだったのです。ザ・シーズのアルバム5作のうち全米アルバム・チャートのトップ200入りしたのは第1作(132位)、第3作『フューチャー』'67(87位)きりでしたし、シングルも10枚発売したうちチャートインはデビュー作からの「プッシン・トゥ・ハード」36位、「恋しい君よ(独り占めしたいのに)」41位、本作からの「ミスター・ファーマー」86位、『フューチャー』からの「無数の影」72位にとどまりましたが、メジャーのデッカ/ロンドン・レコーズが配給していたとはいえ、ハリウッドの小インディー・レーベルにとっては貴重な全国的ヒット作、かつ西海岸のカルト・ヒーローでした。
 実は1937年生まれ(エルヴィス・プレスリーより1歳だけ年少!)のリッチー・マーシュがスカイ・サクソンを名乗り、30歳を目前にしてローリング・ストーンズ・タイプかつヒッピー文化にかぶれて結成したバンド、ザ・シーズは、ヒッピー・バンドと見られるのを嫌った多くのインテリ・ミュージシャンたちからは嘲笑の対象でした。しかし音楽的才能も創造力・演奏力もほとんど皆無なのに、純粋かつひたむきに5作ものオリジナル・アルバムを作り、知性のかけらもないその諸作が案外けっこう古びない。いや、ザ・シーズはデビュー作の日本初紹介当時からヤードバーズやクリームら新しいロックの潮流に較べれば「音楽的にはニュー・ロックとは言えませんが」と「ミュージック・ライフ」誌にすら書かれていたので、デビュー当時すでに時代とズレた音楽性だったのです。デビュー・アルバムの曲などシングル曲はまだしも2、3種類の曲調しかないように聴こえる。本質的にはザ・シーズはデビュー時から解散、'90年代~2000年代までの再結成時までまったく音楽性に幅がないのですが、40年以上に渡って何の変化も進歩もないのもこのバンドほど徹底した例はないので、グラムの時代にはグラム、パンクの時代にはパンク、メタルの時代にはメタル、グランジの時代にはグランジ、インダストリアルの時代にはインダストリアルの元祖みたいに聞こえる。トニックとサブドミナントの2コードだけで15分を押し通す「アップ・イン・ハー・ルーム」(のちにデビュー・アルバム収録曲「イーヴル・フードゥー」も5分に短縮編集される前の16分近いヴァージョンが発見されます)などは、楽曲的には同じ構造の「ミスター・ファーマー」とともにテクノを人力で泥くさくやっているとさえ言えるので、音楽的発想の乏しさがかえって斬新な結果を生んだことになります。またザ・シーズの好さは理屈抜きに踊れるノリの良さにこそあり、踊れる曲は単調であればあるほど良いとも言えるのです。

 ザ・シーズが「アップ・イン・ハー・ルーム」の参考にしたと思われるのはローリング・ストーンズのアルバム『アフターマス』収録曲「ゴーイング・ホーム」で、同アルバムはシングル「ラスト・タイム」'65.2以来「サティスファクション」'65.8、「一人ぼっちの世界」'65.10、「19回目の神経衰弱」'66.2、「黒くぬれ!」'66.6と革新的なサウンド・プロデュースを行ってきたハリウッドのRCAスタジオ所属エンジニア、デイヴ・ハッシンジャーが全曲を手がけたアルバムでした。イギリス盤は'66年4月、一部収録曲・曲順違いのアメリカ盤は'66年6月に発売されており、全英1位(チャートイン28週)、全米2位(チャートイン26週)と大ヒット・アルバムになっています。『アフターマス』時代のストーンズのダークなサウンドを求めたアメリカ西海岸の新人バンドはこぞってハリウッドのスタジオのハッシンジャーのプロデュースを求めるようになり、やがてハッシンジャー自身が新人バンドの発掘と全面プロデュース、マネジメントを任されるようになってデビューしたバンドがジ・エレクトリック・プリューンズです。11分半におよぶ当時ロック史上空前絶後の大曲「ゴーイング・ホーム」は、イギリス盤『アフターマス』では全14曲中A面最後の6曲目とアクセント的な位置でしたが、イギリス盤未収録シングル(この収録のためにイギリス盤より発売が2か月遅れた)「黒くぬれ!」から始まり全11曲がB面最後の「ゴーイング・ホーム」で終わる構成のアメリカ盤『アフターマス』はアメリカの新人バンドにアルバムを大作で締める絶大な影響をおよぼしました。本作('66年10月発売)の「アップ・イン・ハー・ルーム」はそのもっとも早い例で、先に'66年7月、ポール・バタフィールド・ブルース・バンドの『イースト・ウェスト』にB面最後の13分のアルバム・タイトル曲がありましたが、ストーンズとは無関係でしょう。
 B面全面を使った18分を超える「レヴェレーション」を収録したラヴの『ダ・カーポ』('67年1月発売)がLP片面全面を使った長尺曲の元祖とされ(ボブ・ディランの2枚組大作『ブロンド・オン・ブロンド』'66.5もD面1曲、フランク・ザッパ&ザ・マザーズの'66年6月の2枚組デビュー作もD面1曲でしたが、ともに11分強・12分半でした)、'67年4月のザ・ドアーズのデビュー作ではB面最後の「ジ・エンド」11分半(ドアーズは同年10月の第2作でもB面最後に11分の「音楽が終わったら」を収録)、'67年発売のインディー・レーベルの自主制作バンドながらザ・ビート・オブ・ジ・アースの唯一作がA面1曲21分半・B面1曲20分半というカルト作で、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのデビュー作('68年5月)B面最後に12分の「ザ・フール」、ロサンゼルス出身のアイアン・バタフライの第2作('68年6月発売)はB面全面にアルバムタイトル曲「イン・ア・ガダ・ダ・ビダ」を収め短縮ヴァージョンがシングル・ヒットもし、同アルバムはアメリカのレコード産業史上初の100万枚突破(現在までに350万枚以上)を売り上げ全米年間アルバム・チャートNo.1になりました。また徹底的に反ヒッピー的姿勢を貫いていたニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドの第2作『ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート』'68.1のB面最後が17分半のゲイ・ソング「シスター・レイ」でヴェルヴェットの楽曲屈指の攻撃的で反ラヴ&ピース的な曲であり、音楽的にはもっとも「アップ・イン・ハー・ルーム」(ザ・シーズの楽曲屈指の楽天的かつあけっぴろげなセックス&ドラッグ賛歌)に似ていると欧米でも多くの評者に指摘されているのは皮肉です。もっともヴェルヴェットもデビュー・アルバム('67年3月)収録曲「もう一度彼女が行くところ」でストーンズアメリカ盤『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』'65.7収録曲「ヒッチ・ハイク」(マーヴィン・ゲイ'63年のヒット曲のカヴァー)のイントロとサビのリフのパロディをやっているので、ザ・シーズもヴェルヴェットもネタ元は同じ、ということかもしれません。