人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アイアン・バタフライ Iron Butterfly with Mike Pinera and El Rhino - 変身 Metamorphosis (Atco, 1970)

アイアン・バタフライ - 変身 (Atco, 1970)

f:id:hawkrose:20200602222427j:plain
アイアン・バタフライ Iron Butterfly with Mike Pinera and El Rhino - 変身 Metamorphosis (Atco, 1970) Full Album : https://youtu.be/LXbau4caNyY
Recorded at American Recording Company, Studio City, Los Angeles in May-July 1970
Released by ATCO Records SD33-339, August 13, 1970 / US#16(Billboard)
Produced by Richard Podolor
All tracks written by the 5 men in the band, except where noted.

(Side 1)

1. Free Flight - 0:40
2. New Day - 3:08
3. Shady Lady (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:50
4. Best Years of Our Life - 3:55
5. Slower Than Guns" (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:37
6. Stone Believer - 5:20

(Side 2)

1. Soldier in Our Town (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:10
2. Easy Rider (Let the Wind Pay the Way) (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:06
3. Butterfly Bleu - 14:03

[ Iron Butterfly ]

Doug Ingle - organ, lead vocals (A2, A3, A5, A6, B1, B2)
Lee Dorman - bass
Ron Bushy - drums
[ Additional musicians ]
Mike Pinera - guitar, lead vocals (A2, A4, A6, B3)
Larry "Rhino" Reinhardt - guitar
Richard Podolor - sitar, twelve-string guitar
Bill Cooper - twelve-string guitar

(Original Atco "Metamorphosis" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200602222446j:plain
f:id:hawkrose:20200602222507j:plain
f:id:hawkrose:20200602222522j:plain
 バタフライ黄金時代というべき『ガダ・ダ・ビダ(In-A-Gada-Da-Vida)』'68.6(全米4位、年間アルバム・チャート1位)、『ボール(Ball)』'69.1(全米3位)、『ライヴ(Live)』'70.4('69年5月収録・全米20位)の時期にメンバーだったギタリストのエリック・ブラン(1950-2003)がハード・ロック指向のために1969年12月に脱退し、オーディションの結果ギターにマイク・ピネラ(1948-)とライノ・ラインハルト(1948-2012)が加入したバタフライのラスト・アルバムが本作です。この2ギター・5人編成当時のバタフライは発掘ライヴCD2点、発掘ライヴ映像2点で視聴することができますが、このバタフライは新加入した二人のギタリストがとにかく強力でした。結果的にこのアルバムは、全米4位のヒット曲「Ride Captain Ride」を持つ元ブルース・イメージのリーダーでギター&ヴォーカルだったピネラ(後に女性スーパー・ギタリストのエイプリル・ロートン、元ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェルとラマタムを結成、ニュー・カクタス・バンドのリーダーになり再結成カクタスにも参加)と、オールマン・ブラザース・バンド参加前のディッキー・ベッツのバンド、セカンド・カミングのベーシストからベッツ脱退後ギタリストに転向して頭角を現し、バタフライ解散後の1971年には元バタフライのリー・ドーマン、元ディープ・パープル(初代ヴォーカル)のロッド・エヴァンズ、元ジョニー・ウィンター・グループの強力ドラマー、ボビー・コールドウェル(後に元ヤードバーズのキース・レルフが結成した伝説的バンドのアルマゲドンや、リンゴ・スタージョージ・ハリソンエリック・クラプトンのツアー・バンド、アルバムに参加し、さらに伝説的バンドのキャプテン・ビヨンドを結成することになるライノの二人があまりに凄腕だったためにバタフライが乗っ取られたアルバムになっています。また全盛期メンバー最後のアルバム『ライヴ』が1970年4月に発売されたばかりだったのに8月には新生バタフライの本作を発表した性急な発売タイミングにも問題があったでしょう。バタフライには不相応なほどの実力派ギタリスト二人を迎えた新生バタフライは黄金期バタフライ以上のメンバーを誇るラインナップになりましたが、黄金期メンバー3人が健在ながらもまったく別のバンドになってしまったのです。

 またリード・ヴォーカルも取れるピネラのヴォーカルはダグ・イングルの唱法に似せてあり、またイングルもピネラを意識した歌い方をしているので2リード・ヴォーカルに違和感がなく、ライヴ映像を観ないと1曲の中で交互に歌い分けているのがわからないほどです。ピネラとライノの2ギターの絡みも完璧で、これ以上のものはデヴィッド・ボウイの『Station To Station』'76のカルロス・アロマーとアール・スリック、マイルス・デイヴィスの『Agharta』『Pangaea』'75のピート・コージーとレジー・ルーカス、オールマン・ブラザース・バンドのデュアン・オールマンディッキー・ベッツの2ギター・アンサンブルくらいしか思いつかないほどですが、ゴーハム&ロバートソン時代のシン・リジィ、ムーディー&マースデン時代のホワイトスネイク、また2ギター・バンドとしてもグレイトフル・デッドやクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ウィッシュボーン・アッシュテレヴィジョン、XTCらに匹敵するものでしょう。時代的にも人脈的にもピネラ&ライノが意識していたのはオールマン・ブラザース・バンドだと思いますが、オールマンは夭逝のギタリスト、デュアンばかりが伝説化しているもののバンドの総合力の高さ自体が卓越しているので、デュアンの弟のヴォーカル&キーボードのグレッグ作の代表曲「Dreams」「Wipping Post」に劣らない人気曲で名曲「In Memory of Elizabeth Reed」はベッツ作曲ですし、デュアンとベッツが一糸乱れないギター・アンサンブルを披露していた当時のオールマンはデッドやザッパすら凌ぎ、ストーンズと並んでロック史上最高の高い音楽性と実力を誇るバンドでした。オールマン・ブラザース・バンドに較べればツェッペリンやパープル、イエスやクリムゾンなど大人と子供の差があります。

 そういう事情でもともと音楽的な骨格が弱かったのをアレンジの工夫だけで乗りきっていたバタフライは、一気にリズム&ブルースをベースにした骨太な'70年代型ハード・ロック・バンドになりました。脱退したブランは悔しかったと思いますが、ブランの場合は黒人音楽の素養は乏しかったのでハード路線でも『ボール』のようなプログレッシヴ・ロック系のハード・ロックになってしまったのです。ベースのドーマンの指向でモータウン系黒人ポップスのリズム・アレンジが入ってきたのは『ガダ・ダ・ビダ』LPのA面5曲で萌芽がありました。しかし大曲「ガダ・ダ・ビダ」はサイケデリックなオルガン・ロックのプログレッシヴ・ロックだったため、同曲の路線にソウル系の曲をアクセントにしてほぼ全編を通した『ボール』は力作ながらやや平坦な出来になりました。結局それはギタリストがブランだったからでもありますが、ピネラとライノというブルース・ロックをたっぷりやってきた凄腕ギタリストががっしり組んだ本作では、アーシーなブルース系ハード・ロックサイケデリックプログレッシヴ・ロック路線も組みこんだ、もうバタフライだか何だかわからないような、プログレッシヴ・ハード・ロックの秘宝ラマタムやアルマゲドン、キャプテン・ビヨンドのプロトタイプのようなサウンドに一気に行ってしまいました。A1の短いギター・インスト曲に続くA2は4/4+2/4の変拍子によるソウル系リズムのプログレッシヴ・ハード・ロックですし、フォーキーなバラードB1以外の曲はほとんどそうです。そしてアルバム最終曲B3はピネラの独壇場で、オーソドックスなスロウなブルース・ロック風にヴォーカル・パートが終わると端正でテクニカルかつ情感溢れるライノのソロになり、ベースとドラムをフィーチャーしたパートを挟んで6分目からは2ギターが妖しく絡みあい、まるでアモン・デュールIIあたりのジャーマン・ロックのようになり、9分目~12分目まではピネラのギターとヴォーカリゼーションによる無伴奏ソロになります。この曲はアルバムでは14分ですがライヴでは24分(ブラン在籍時に17~18分だった「ガダ・ダ・ビダ」もこの5人編成のライヴでは24分を越えます)になるように、開発されたばかりのギター・ヴォイス・モジュレーターの使用が聴かれます。11分台がそうで、これはギターアンプから延びたチューブを口腔に咥えて、ギターのサウンドを口腔内に反射させ人声のように変化させるエフェクターで(音声はギタリストがヴォーカル・マイクに向かって拾います)、シンセサイザーによるヴォイス・モジュレーターの開発によって'70年代末には廃れました。使用法が難しすぎる(奏者がピッキングに合わせて口腔を操作しなければならない)ばかりか発音の確実性に欠け、しかもライヴで使うとヴィジュアル的にもかっこ悪い欠陥エフェクターだったのですが(アルバムでもジェフ・ベックの『ギター殺人者の凱旋』'75、コスモス・ファクトリーの『ブラック・ホール』'76など僅かな使用例しかありません)、アルバムでは短いですがライヴ映像を観るとピネラのギター・ヴォイス・モジュレーター奏法の巧みさはベック・ボガート&アピス時代のジェフ・ベックを凌いでこの欠陥エフェクターを使いこなしたトップ・クラスのギタリストでしょう。もうひとりのギタリスト、ライノ・ラインハルトも驚異の変拍子プログレッシヴ・ハード・ロック・バンドのキャプテン・ビヨンドの創設メンバーになるだけあり、しかもピネラがベック系のアイディア豊富でトリッキーなテクニシャンとすれば、ライノはクラプトン系のメカニカルな正確さとギターに歌わせる表現力の両方に長けたテクニシャンです。

 しかもこの、ピネラ大活躍のアルバム最大のハイライト曲「Butterfly Bleu」にはバタフライの本来のリーダー、ダグ・イングルの見せ場はまったくなく、本作ではこれまでのように単一のオルガン(ファルファッサ社かヴォックス社の電気オルガンで、ハモンド社の電気オルガンではないでしょう)だけではなく数種の電気オルガン、電気ピアノを同時使用していますが、Atco時代のオリジナル・バタフライのアルバム5作でイングルがもっとも生彩に欠けるのも本作なのです。イングルはバタフライ解散後、全曲を作詞・作曲した『ガダ・ダ・ビダ』の楽曲印税だけで生涯の生計が成り立つからか、リーダーだったにもかかわらずメンバーのうち唯一ほとんど音楽活動から身を退いてしまい、本作直後のバタフライのラスト・ツアーがヨーロッパ諸国で好評だったことから10年後の1979年~1981年に『Metamorphosis』のメンバー(ただしツアー直前ドーマンの尊父が急逝して喪主を務めたためベースは新メンバー)でヨーロッパ巡業の再結成ツアーが行われた折に参加した程度でした。バタフライがブランとビュッシーによって1975年に再結成し、MCAレコーズにアルバム2作を制作した時もドーマンはキャプテン・ビヨンド在籍中で不参加でしたが、特に音楽活動をしていなかったイングルもブランとビュッシーの再結成バタフライには参加しなかったのです。イングルはカリスマはおろかオリジナリティ、テクニック、イマジネーションのいずれにも限界のあるミュージシャンでしたが、イングルのぎこちない不器用さこそがバタフライの個性でした。それはピネラとライノというスーパー・ギタリストを迎えて優れた'70年代型のハード・ロック・アルバムの制作には成功しましたが、バタフライの個性は霧消してしまったことにも表れているのです。そうした事情を含めて、これもしょせんはロック史の徒花、'60年代最大のこけおどしバンドだったバタフライらしい終わり方だったような気がします。

(旧稿を改題・手直ししました)