人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病棟スケッチ(3・女難1)

アルコール依存症の学習入院を挟んで、一昨年に危篤状態で緊急入院したのもこの病院だった。ぼくは寝返りはもちろん腕すら挙げられない惨状だった。3週間は24時間点滴で寝たきり。検査の度に担架で運ばれた。体は2日ごとに拭いてもらい、入浴は車椅子ごとシャワー。
重症患者病棟だったので部屋は暗くしてあった。排泄は紙おむつと尿道カテーテル。これが痛い。ぼくの担当看護婦は昭和64年生まれだという深田恭子似の少女だったが、いくら美少女でも痛いものは痛い。
寝たきりの上食事が取れないので時間の感覚を喪失し、現実と悪夢・幻覚・妄想の区別がつかなくなった。正気に返って自分の置かれた情況を考えると、拘置所よりはずっとマシだとシニカルな気分になった。

そもそもぼくが爆発的な躁状態に陥り、反動で身体衰弱するまでの鬱に落ち込んだのはデイケアで知り合った女性がきっかけだった。デイケアとは障害者のためのリハビリ施設で、ぼくが通うようになってから2週目くらいに彼女は来た。
帰り、他の人たちは駅で別れたがぼくと彼女はそのまま同じ帰り道だった。ぼくの住むマンションから彼女のマンションまで200メートルもないので門の前まで送った。彼女は手袋を脱いで握手を求めてきた。「また会いましょうね」
翌週も彼女は来た。二人きりになると彼女は恋愛の話ばかりしてきた。佐伯さんの別れた奥さん私と同い年なのね。ベランダから佐伯さんの部屋のドアが見えるのよ。私インテリの男の人じゃないとだめみたい。
嫌な予感適中。彼女のご両親が怒鳴り込んできた。娘を誘惑している男がいるそうじゃないか、なぜしっかり監督しないんだ。おそらく彼女がご両親にぼくの話をしたのだろう。3回しか会っていないし、二人だけの時間だって合わせて15分もないのに。
ぼくはデイケア禁止になり、怒りと閉塞感で激しく躁状態になり、次にどん底の鬱がやってきた。最後には完全な絶食が1週間、仰向けのまま身体も起こせない。掛かり付けのクリニックに電話連絡して入院を手配してもらったが、それまで持たなかった。

深田恭子ナースは看護学校出たてだけあって丁寧すぎるくらい丁寧で優しかった。特に陰部の清浄は熱心だった。もちろん練習台としてだ。左手で持ち上げながら息がかかるほど顔を近づけてくまなく拭いてくれた。当然勃起はしなかった。それが礼儀というものだ