人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病棟スケッチ(4・女難2)

やっと24時間点滴が外されて病院食が食べられるようになった時は嬉しかった。初日はお粥で、箸が使える自信がないのでおかずもスプーンでほぐして食べていた。翌日からは普通食になったがまだ箸で食べる勇気がなかった。
ベッドの上で手のひらをかざし、赤ん坊のように指を握ったり開いたりした。入院直前のぼくはペットボトルも開けられす、コンビニのおにぎりやサンドイッチの封すら切れず、コップを傾けて水を飲むことさえ出来なかった。明日はやってみよう、とぼくは思った。
やってみた。ぼくは箸が使える!入院先の主治医にも言われた、「佐伯さん、あなたは本当にギリギリのところで一命をとりとめたんですよ」。また主の御手が救って下さった。救急車を呼んだ時だって助かる確信はなかった。ぼくは可能性に賭けてみただけだ。

身体が動かせるようになったので重患病棟から病棟を移った。深田恭子ナースごと移りたかったがそういうわけにはいかない。
これから過ごす病棟に連れられてすぐに、一種異様な雰囲気に気付いた。重患病棟はみんな寝たきりか車椅子だから患者は自分では動かない。ここでは患者は自分で動いている。歩いている。それのどこがおかしいのだろう?
ぼくは自分のベッドに案内された。4人部屋、初老の男2人とヘッドギアを着けた青年(後でてんかんだと知った)。彼らの誰もぼくに注意を向けなかったので挨拶のタイミングを失ってしまった。それでも荷物を整理して部屋を出る時に「はじめまして、佐伯といいます。よろしくお願いします」と仁義を切った。いかぶしげな顔をされただけだった。
そうだ、この無関心だ、と娯楽室に向かいながら考えた。ぼくの偏見でなければ、この病棟は無関心で静まりかえっている。廊下を行き交うどの患者も他の患者に注意を払わない。そう広くもない病棟に会話の気配もない。理由はいくつか即座に思いついた。どれもあまり芳しくない理由ばかりだった。不吉とすら言っていい。この推測が当たっていなければいいが…。
ぼくはしばらく娯楽室の貧弱な書架を見て、やっぱり昼寝にしようと廊下に出た。向こうから中年の女性患者が緩慢に歩いてきた。ぼくを認めて「はじめまして」と声をかけてきた。ぼくは彼女がたどり着くまで待った。
そして彼女はいきなり奇妙なことを訊いてきた。
「奥さまやお子さんはいらっしゃるんですか?」