人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詳解「スカンクの時間」

今回もアメリカの詩人ロバート・ロウエルの代表作「スカンクの時間」の検証です。
先に時代背景と作者の意図について質問を受けました。朝鮮戦争休戦後のアメリカ文化の退廃に、聖と俗の対比として野生のスカンクの生命力に蘇生への希望を願う、では紋切り型なので解説記事を書きました。
重ねて質問が来ました。(1)作者の告白したかったこととは?(2)詩の末尾に出てくる「ダチョウの尾」とは?的確な質問なので改めて解説します。

まず第2の質問から。ダチョウの尾は原文でも直喩でher ostrich tailです。忘れっぽく胃袋が丈夫と言われる禽獣なので、没頭してゴミ箱を漁るスカンクの尻尾がダチョウの尾に見えた、ということです。

第1の質問にはこの詩の構成の理解が必要です。6行(Line)8連(Stanza)のこの詩ははっきりと前半4連・後半4連に分かれ、さらに前半・後半ともに2連ずつに分かれます。

この詩は典型的な起承転結の形を採っています。まず最初の2連で「相続人のお婆さん」に託して描かれるのは詩人自身の戯画です。相続人、ストイック、孤立、夢想家(海の上の羊)、カトリック、田舎の村長、「耄碌」、プライドと退廃。
第3・4連は第1・2を承けてこの島の不毛を避暑客とオカマfairyの不遇で強調します。ここまで登場する島の人々は皆詩人の分身と言っていいでしょう。

この詩は転・結に当る第5・6連、第7・8連で劇的な転回を迎えます。第6連の最終行と第7連の初行「ここには誰もいない--//スカンクだけだ」'nobody's here--//only skunks'は作者会心でしょう。この詩の主題はここに凝縮されています。

第5・6連がこの詩の本体です。2ドア・フォードは原文Tudor Fordで訳せない駄洒落、丘の頭蓋骨skullというのは数行後で墓地が出てくる伏線。語り手が探す「恋人たちの車」は原文ではずばりlove-cars、カーセックス中の車。第6連でカー・ラジオから流れる曲は1921年にW.C.Handyが発表したCareless Love、寿命の長い曲です。訳に困りますが別名Loveless Loveと知り「軽はずみな愛」としました。
第6連後半からの展開も解説したいのですが、残念ながら紙幅が尽きました。