人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャニス・ジョプリン(3)

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 ジャニスの印象はいかがでしたか、と問われて、出世作となったビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーの「チープ・スリル」を手がけたCBSコロンビアの社内プロデューサー、ジョン・サイモンはこう答えている。エレノア・ルーズベルト以来美人でなくても有名になれると証明した女性だろうね(笑)。たぶんジョン・サイモンはずっとこれが気の効いた答えだと思って誰にでもそう言ってきたし、その後でも変わっていないだろう。ジョン・サイモンがユダヤ人エリートであることを思うとアメリカ的な女性蔑視の根深さが想像できる。
 これが90年代末になってもシニカルなニューヨーカーのジャニス評価だったのだ。関係者にすら女性でありロック・シンガーであること、さらにジャニスの力量をキャンペーンするために、ビッグ・ブラザーは「無教養なヒッピー集団、演奏も稚拙」と誇張するプロモーションがとられた。もちろんジャニスとバンドの溝を深め、ソロ・シンガーとしてのジャニスの独立を促すために。
 ジャニスはテキサスからサンフランシスコに単身上京してビッグ・ブラザーのリード・シンガーになった。同じウェスト・コーストでもロサンゼルスやシアトルだったらもっとプロ・ミュージシャンのマナーに早くから接していたかもしれない。バンドのメンバー全員は当然、交流するバンドのメンバーとも積極的に肉体関係を持った。これは男性社会で女性がコミュニケーションを深めるにはかなり危険な方法だろう。
 ルート66でシカゴとは交通の便がある。ビッグ・ブラザーの初アルバムはシカゴのマイナー・レーベルから出た。レコード業界最大手から声がかかったのはその年の夏のロック・フェスで一番人気を取ったからだった。
 そして製作されたアルバム「チープ・スリル」はチャート1位を獲得、水面下でジャニス独立計画が進み、結局ビッグ・ブラザーのリーダー、サム・アンドリューを新バンドのリーダーにという条件で「コズミック・ブルースを歌う」が初のソロ・アルバムとして製作される。ただし実権を握ったのはほとんどレコード会社の用意したミュージシャンたちだった。アルバムは凡作、ライヴも生彩を欠いたものになった。
 この状況から初めてジャニス自身が音楽的リーダーとなるバンドを組み、遺作「パール」を遺したのは感慨深い。死を引き換えにした勝利、そんな気もする。